方言で芝居をやること|第8回|かつてあった日本の街。|山田百次

前回、北海道で芝居を作ったと書きましたが、それは札幌の劇団から依頼され、樺太(現サハリン)の芝居を作りました。

 

敗戦直後の樺太に残留していた、日本人の方々が経験したお話です。

当時小学生だった方のお宅に、突然ソビエト軍のトラックが横付けされ、一組のロシア人夫婦が降ろされて「お前たちは今日からこの夫婦と一緒に暮らせ」と命じられたのだそうです。それから、ロシア人の夫婦と日本人家族の2年ほどの暮らしが始まったのですが、そのころ樺太には大勢の朝鮮人も連れて来られていたり、樺太アイヌの方々もいたり、様々な民族の人たちが、垣根を持たずに一緒に暮らすコミュニティを形作っていたのだそうです。

 

この経験をした方の手記を基に、芝居をつくることになりました。

 

この手記を読んだ時、とても大きな衝撃を受けました。ある日とつぜん、異国の夫婦が家に上がり込み、ともに暮らすなんて。思わずグレゴールザムザの『変身』が頭に浮かんだほどの強い不条理感を受けました。

 

ボクはそれまでにホエイという団体で、北海道三部作と称し、北海道の近現代史を背景にした人々の生活を描き、その生活を通して、日本という国の問題を浮き彫りにするような作品を作っていました。そういった活動が認められての依頼でした。

 

このお話が来た時、それまでの活動はこの作品のためにあったんじゃないかと思えるほど運命的なものを感じました。

 

まず、なんといっても舞台は樺太。そこに行ってみないことにはお話は作れないと考え、思い切って行ってきました、サハリン。

 

北海道からビザなしで行けるフェリーが出てたり、飛行機も出ていますが、関東から行くのは大変。友人がたくさん調べてくれて、日程がフリーのホテル付きのツアーを見つけてくれたので、それで行く事にしました。

 

まったく知り合いもツテもなかったので当初は、サハリンの土地を見られさえすれば……とか。サハリンの雰囲気を体験できたらそれでいいかも……。ぐらいの考えだったのですが、そのパックの日程が三泊四日なので、三日間もサハリンの空気をただ吸ってるわけにはいきません。なのでガイドを探すことにしました。

 

そしたらツアーのことを調べてくれた友人がロシア語教室に通っており、その先生の知り合いを紹介してもらえることになりました。

 

空港があるのはサハリンの中心都市、ユジノサハリンスク。ボクが訪れたいのはそこ北へ20~30キロ離れた街ドリンスク。その他にも行きたい所があったので、どうしても車が必要です。

 

以上の条件で一人見つかりました。その方は車を持っていて、日本語を勉強しているというイリーナさんです。

でも、ボクの取材内容を詳しく知ると、自分の語学力では不安なので、別の通訳さんを紹介すると言ってくれました。その方はオリガさんという方で、普通に日本人の旅行者にガイドをしているプロの方でした。

 

友人のおかげでツアーもガイドも決まり、旅行会社からビザも送られてきて、お膳立ては整い、行ってまいりましたサハリン。

 

サハリンの空港に着いたら、イリーナさんとオリガさんが温かく迎えてくれました。

最初は緊張したんですがロシア人はとても人なつこくて、気さくに話しかけてくれたので、あっという間に緊張が解けました。

 

まず連れていってくれたのは、舞台となる町、落合(現ドリンスク)にある旧王子製紙工場跡。とても巨大でした。今も一部はボイラー工場として使われているそうです。

まわりにはとにかく野良犬がたくさんいました。人には慣れているようで、とくに怖いということはありませんでした。

そして、大泊(現コルサコフ)の先にある、日露戦争時の上陸記念碑を見てきました。

この戦争で勝った日本は、樺太の南半分を手に入れました。

 

折れて倒れてる碑には「遠征軍上陸記念碑」と書いてありますね。

この戦争で勝ったことで慢心したのか、次の大戦では敗色が強くなっても日本軍は降伏せずに突き進みます。

 

この記念碑の下にはキレイな砂浜が広がり、夏には海水浴やバーベキューが行われ、ロシアの人々はサハリンのとても短い夏を楽しむのだそうです。

 

サハリンの印象は、北海道にとてもよく似ているとおもいました。生えてる植物や生き物など、あまり北海道と違いがありません。

 

ただ、住む人々や建物が違う。

 

ヤルタ会談次第では北海道の半分がソ連になっていたかもしれないということを思うと、日本の別の未来、パラレルワールドに迷い込んだかのような気にさえなりました。

 

そして、そのロシア人の生活のなかに、日本人が暮らした痕跡が亡霊のようにそこかしこに漂っています。

 

そういったサハリンの色々な土地を巡る内に、人間はどんな場所にも順応するし、見知らぬ土地でも、自分の文化を持ち込めば暮らしていけるのだなと思いました。

方言での芝居をやり始め、そこから日本の近現代を題材に作品を作り、サハリンにまで来たかと思うと感慨深くなる瞬間がそこにはありました。

 

次回は、この取材を基に作った札幌座公演『フレップの花、咲く頃に』について書きたいと思います。

 

 

 

山田百次 次回出演。

トローチ第四回公演『咲き誇れ』

9月23~30日@赤坂RED/THEATER

作・演出 松本哲也(小松台東)

http://troche.asia/vol04.html

 

 

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