先月末から酷暑が続いていたと思えば台風がひっきりなしに発生したりで、いろいろと慌ただしい日々が続いておりますが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。心より残暑お見舞い申し上げます。
出張先でオノマトペハント
さて、先月は鹿児島に出張した時のエピソードを交えたお話をしましたが、これを書いている今(8月上旬)はサンフランシスコに来ています。たまたま出張が立て続けに入っております。アメリカ本土に降り立つのは初めてなのですが、さすがは都会サンフランシスコ、通りを歩く方々もメリケンメリケンされています(これはオノマトペのような、そうでないような)。道行く方々もどことなく服装がスタイリッシュだったり、スケートボードで道路を爆走したりしています。
せっかくですので、アメリカのオノマトペを探してみたいのですが、英語には日本語と同じような形のオノマトペが比較的少なく、また今回来ているような学会というフォーマルな場ではそもそも出てきにくい種類の言葉のため、見つかる可能性があまり高くありません。そのため、可能性の高い物として、例えばコミックのような媒体に注目してみる必要があります。というわけで、書店に入る機会があれば、現地のコミックを入手してみることにします。ドイツにはエキナカの書店にも日本の漫画の翻訳版が大量に売っていましたし、きっとすぐに手に入るでしょう。
(2日後)
さて、この付近にそもそも書店が少ないことがわかりました…こちらの人は本をあまり読まないのでしょうか。徒歩圏に書店が無いと死んでしまう類の人は住めないところですね。仕方がないので近くにあったSFMoMa (San Francisco Museum of Modern Art)に入ってみることにしました。
SFMoMaではちょうどマグリット展が開催されており、こちらを目当てに来る方が多かったようなのですが、常設展にも素敵なものがたくさんありました。その中で見つけたのが、ロイ・リキテンシュタインの展示です。リキテンシュタインは、アメリカのコミックなどを特徴的なタッチで表現しているアーティストです。非常に有名なのでどこかで目にしたことがあるかと思います。
リキテンシュタインの作品(ラジオ)
https://www.tripadvisor.com/LocationPhotoDirectLink-g60713-d105418-i234410048-San_Francisco_Museum_of_Modern_Art_SFMOMA-San_Francisco_California.htmlより
リキテンシュタインとオノマトペ
アメリカンコミックを素材とした絵を描かれている方の画集なら、コミックが収められているに違いない!ということで、美術館に併設されているショップでリキテンシュタインの本を入手しました。彼の名前がついている本は1点しかなく、事前に中身が確認できなかったのですが、まぁ大丈夫だろうと楽観的に購入しました。
しかしながら、ホテルで開いてみると、どうもこの本は一連の作品に関する解説本だったようで、収められている絵の種類はあまり多くはありませんでした。その中でも、オノマトペを含む作品を探してみます。どうやら、彼がコミックを題材としていたのは、限られた期間のようです(より抽象的でシンプルな表現へ移行してゆきます)。
引用元:Roy Lichtenstein 1923-1997: The Irony of the Banal (Basic Art Series 2.0)(J. Hendrickson, 2016)
彼の代表作のタイトル「Whaam」はまさしく英語のオノマトペそのものです。Whaam!は「ワーム」という音になると思うのですが、日本語のオノマトペでいうと「ドシン・バタン・ガーン」などにあたります。ここでは飛行機が爆発しているので、「ドカーン」というのが適切でしょうか。さて、「ワーム」と「ドカーン」、同じ爆発音を表しているはずなのですが、音がだいぶ違いますね。これはなぜなのでしょう。
オノマトペと言語の関係
オノマトペには、音そのものを言語に含まれる音(言語音)で表す擬音語が含まれています。この場合、実際に聞こえてくる音を、自分が話す言語の音から選んで並べるため、その言語に含まれない音や、その言語ではあまり見られない音の並べ方は使用されにくい傾向があります。例えば、日本語の「コケコッコー」は鶏の鳴き声ですが、英語では「cook-a-doodle-doo」になります。途中までとても似ていますが、日本語では「ドゥードル」という音の並びがあまり使われませんので、英語と同じ形にはなりにくいことがわかります。また、すでに類似する音列が別の事柄を示す場合は、バッティングが起きるので、使用することができない、ということは容易に推測できると思います。オノマトペも、言語の一つとしてそれぞれの国において生まれ育ってきた経緯がありますので、各言語の影響を色濃く受ける物であると言えます。
また、言語であるということは、社会的なルールとして制約を受けますので、「日本語で、鶏の鳴き声を表すオノマトペは「コケコッコー」です」という決まりがある以上、実際の鳴き声により忠実な音列を見つけたからといって、そちらに移行することはもうできないのです。これは、英語であっても他の言語であってもそうであると言えます。
見え隠れする音の類似性
ただし、違う言語であればオノマトペも全く違うのかと言われると、そうとは言い切れない部分が確かにあります。同じ音がするものを、同じ人間が聞いて、違う言語音で表現しただけなのですから、似ているところはあって当然なわけです。Whaamとドカーンも、後者の/dok/の部分を削ってしまうと、ほとんど同じ音の並びになります。先ほど例に挙げたコケコッコーとcook-a-doodle-dooと、もう一つドイツ語のkikerikiを並べてみると、同じk音で始まっている点、使われている母音は異なりますが、必ず二番目の部分だけ変化している点など、類似点がわんさか出てきます。きっと、これらのオノマトペを作った人たちは、音の微妙な違いを言語音の違いとしてなるべく反映させておこうと四苦八苦したのでしょう。その後、こういった類似性(偶然の一致も含めて)に頭を悩ませる人が、言語学者としてたくさん生まれることを、知っていたのかどうかはわかりませんが。