言語展示学~ことばの宇宙を届けたい|第1回 言語展示って?(1)|菊澤律子

 

この連載では、「言語展示」の企画や制作に関するお話をします。世界で話されている7,000にのぼる言語の驚くような特徴や、それらに共通してみられる特徴のおもしろさ。それを「展示」という形で伝えることの難しさや、さらには博物館展示における言語の役割。言語にまつわる博物館でのおもて話・裏話をお届けします!

 

ことばの展示とは?

私が勤める国立民族学博物館、通称「民博(みんぱく)」には言語展示場があります。民博の展示場のなかで一番小さく、もともとは通路用のスペースなのですが、その中に、研究部の言語チームがことばの宇宙をいっぱい詰め込みました。ここではその、宇宙を創る話をしようと思います。宇宙は無限に広がっているけれど、展示スペースはとっても限られている。そんな条件の中で、「言語」を展示することの意味とノウハウを、私たちなりに模索した記録を残しておきたいと思っています。そしてそれがきっかけとなって、将来、もっともっと良い宇宙の見せ方につながれば嬉しく思います。

さて、さらっと「言語展示」と書きましたが、そもそも言語展示とは、いったい何なのでしょうか? 「言語」の「展示」? はい、その通りです。でも、言語の展示、と聞いて、皆さんはどんなものを思い浮かべられますか? そもそも「言語」とは、いったい何なのでしょう?

 

「言語」≠「文字」

展示場のご案内をさせていただくときに、「言語」と「文字」と「言葉」の違いを説明するのは難しいなぁ、と感じることがよくあります。日本では、学校での国語の学習も、そして私たちの世代では英語の勉強も読み書きが中心だったためか、言葉といえば読み書き、という感覚があるように思います。文字を言語から切り離して考えることがとても難しいのです。

そんなときには、文字と言語の違いを、論理的に認識していただくために、よく次のことをお話しします。現在世界で話されている言語は約7,000言語といわれています。言葉の数は数え方によっていろいろ変わるので、これは本当にざくっとした数字にすぎませんが、イメージとしてつかんでいただくためにはよいと思っています。一方で、文字の種類の数はといいますと、失われてしまったものを含めても300から400といわれています。つまり、言語の数より文字の種類の数の方がうんと少ないのです。単純にいうと、文字なしに使われてきた言語の数の方が、文字があった言語よりうんと多いということです。もちろん、日本で日本語を書き表すために中国から漢字を借用し、さらにそこからひらがなやカタカナを発達させたように、同じ文字体系が異なる言語を話している民族から民族へと伝わり、別の言語を表すために使われるようになることはよくあります。また、その過程で少しずつ変化し、新しい文字体系ができることもあります。体系全体として借用ができるということは、文字はツールだということです。土器や装身具のように、文化の一部として伝播してゆきます。

現在では、国際化の波にともない、ほとんどの言語に何らかの書記法があります。以前に植民地であった地域では、英語やフランス語、スペイン語など、旧宗主国の言語の書記法を適用した地域が多くあります。このような地域ではその多くで、もともとその土地で発達したいくつもの言語が話されており、歴史や文化的な知識を「口承伝承」という形で継承してきました。日本のように、何でもメモを取っておいて、それを見直すような習慣がある国では想像するのが難しいのですが、文字を持たなかった人々も、ちゃんと、時間や空間を越えて知識を伝える方法をもっていたのです。また、新しい書記法が導入された現在でも、文字を使っているのは都市部の政府関係者などだけで、地方では昔と同様、読み書きせずに暮らしている人たちがたくさんいます。つまり、言語は、文字がなくても存在するし、文字がなくても文字を持つ言語と同じ機能を果たしています。一方で、言語がないのに文字だけが存在するというのはあり得ません。文字は、言語を書き記すツールなのです。文字が言語と切り離して使われるのは、意味伝達のためでなく、文字が持つ雰囲気や形をデザインの一部として扱うような場面になるでしょう。英語圏で一時期、漢字が流行った時期がありますが、そのようなものが例としてあげられると思います。

 

「言語」≠「文字」と言語展示

「言語」について語ろうとしたら、いきなり、言語と文字の話になってしまいました。でもそのことから、文字は、私にとっては言語を語るときにまず頭に浮かぶ、とても大切な要素なのだということがわかります。それでは、この、言語と文字の関係を展示に反映させるには、どうしたらよいのでしょうか。たとえばこの連載のように、文章での伝達が前提になっている場では、先の段落のような説明が可能かもしれません。でも、博物館に行って、こんな長い文章を印刷したものがいきなり壁に貼り付けてあったら、どうでしょう? 私だったらきっと、いえ必ず、読まずに通り過ぎてしまうと思います。研究者は、普段、本やこのようなエッセイでいろいろなことを表現します。また、講演会などの場であれば口頭で、本やエッセイであれば書いた形で、自分の研究の内容に関する情報を伝えます。このように、文章の形で説明するのには慣れているのですが、展示というのは、まったく異なる形でのプレゼンテーションです。ある空間に、身体ごと入ってくる人たちが時間の流れとともに存在し、ものに触れる場。その四次元―4Dの、けれども物理的に限られた世界で、言語と文字の関係性について、語るにはどうしたらよいのでしょうか。

それは、必ずしも直接的に語る形ではない表現方法になることもあります。民博の言語展示を改修したとき、私たちは意識的に文字と言語を切り離しました。言語は、音声言語であれば音のシグナル、手話言語であれば、視覚シグナルからなります。いずれもシグナルなので、形がありません。文字は、音のシグナルを書き記すツールなので、静止した形で見せるには便利なツールです。だから、見せたい言語を文字に書き起こしたものを並べれば、言語を展示してあるように見えるかもしれません。でも、それは文字の展示であって、言語の展示ではないのではないでしょうか? また、言語に関して博物館にありそうなものといえば、たとえば、ロゼッタストーン(写真1-1)のような碑文であったり、楔形文字が彫られた粘土板(写真1-2)のような、文字に関するものになると思います。文字が書かれたものはモノとして形に残るので、古いものが残っていたり、地中からでてきたりすることがあり、モノを展示する博物館の性質になじむのです。一方で、言語はシグナルなのでその場で消えてしまい、いくら掘っても出てきません。以前、民博の言語展示場には、縄に結び目を作って数を記録するインカの結縄文字(写真1-2)や、文字のエッチングパネル(写真1-3)が展示されていました。改修で展示スペースが大幅に小さくなることが決まったとき、その限られたスペースに「文字」を詰め込むことが、本当の意味で言語の展示になるのか、私たちは悩みました。

 

写真1-1 ロゼッタタストーンと夢の碑

 

写真1-2 粘土板や結縄とその解説(国立民族学博物館(編) 2000 『国立民族学博物館展示ガイド』 p. 48より抜粋)

 

 

写真1-3 文字のエッチングパネル

 

展示場での文字対策をどうしたかについては、後に改めて述べるとして、展示が学術研究と違うところは、同じ問いに対する答えがひとつではないこと、また、新しいものをどんどん創ってゆけることだと思います。言語の専門家ではない人たちに、私たちがなぜ言葉の研究がおもしろいと思っているのか、もとい、私たちが興味をもって研究している言葉の宇宙の、そのおもしろさをどうしたら届けられるのか、展示デザイナーさんたちと一緒につくりあげてゆくプロセスは、私にとっては慣れない作業であると同時に普段の研究とは違う、楽しい作業でもありました。実は、言語に特化した展示は、世界的にもあまり多くはありません。民博は、40年前の開館当初から言語展示場を持っており、その意味で非常に珍しい博物館です。最近は、世界のさまざまな博物館や展示企画で言語を展示したいという動きがあり、よく問い合わせを受けます。そんな世界に誇る言語展示をつくる話を、次回から少しずつ、お伝えしてゆきます。

 

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