青森を出て、東京で演劇活動を始めると同時に、津軽弁による一人芝居もやるようになりました。
『或るめぐらの話』という演目です。
これは方言詩人、高木恭造(1903~1987)の長編詩の一つがオリジナルとなっています。
高木恭造という方は、弘前で医者をやりながら詩を書いていた方です。津軽弁による叙情的な詩を数多く残し海外でも出版され、自ら朗読もしていた方です。
この長編詩を一人芝居にして上演した方が、過去に二人いました。
最初に上演したのは青森の伝説的演劇人、牧良介さんです。
ボクが演劇活動を始めた頃には牧良介さんは他界されており、上演されたものを見ることはできませんでした。平田オリザさんの著書に登場してくるので、それを読むことができたくらいです。
そしてもう一人は浪岡劇研の長谷川等さんです。
ボクが『或るめぐらの話』を初めて見たのが、この方の一人芝居によるものでした。
たしか桜の季節に岩木山の麓でイベントがあって、野外ステージで日中の上演でした。。
台詞が、日常会話より少し古めの津軽弁ということもあって、なかなか聞き取れない部分もありました。ですが、そんな事は気にならないくらい等さんの芝居に引き込まれました。ストーリーは酒に女にと、さんざん遊んできた一人の男がいました。その男がメチルアルコールのせいで目が見えなくなったところから始まります。悲嘆に暮れて自殺しようとしますが、お坊さんに命を救われます。そこから自分の人生を考え直し、やがて希望を見いだす。というお話自体はシンプルなものです。
それまでは一人芝居というと、ボクはイッセー尾形くらいしか知りませんでした。だから色々と動いたり着替えたり、何役も演じわけて笑いをとっていくみたいなイメージしかなかったので、長谷川等さんの一人芝居には強烈な衝撃を受けました。
目の見えない一人の男が、イスに座って訥々と身の上を語る姿。そのビジュアルがすごく魅力的に映りました。これはもちろん、等さんの佇まいや芝居の味によるものも大きかったのですが、津軽弁の流れるような響きと心温まる結末にすっかり魅了されてしまいました。
「こんなに素晴らしいものを青森ではまだ二人しかやってない、自分でもやりたい」と強く思いました。そこで自分でもやってみようと高木恭造の詩集を買ったんですが、高木恭造の長編詩は『めぐら』の他に『男イダコ』『雪女』という二つがありました。もちろん『めぐら』をやりたかったのですが、20代半ばの自分には、ああいう哀愁ただよう芝居はまだ早いと思ったので、まだ誰もやっていない『男イダコ』を上演することにしました。
この『男イダコ』という演目がどういう話かというと、まずイタコというのは女性がなるものでした。なので男性のイタコという時点でだいぶ疑わしいという所から始まります。その男イタコのところに東京から、ひと組のカップルがやってきます。そして男イタコに「自分の母親をおろしてくれ」と頼んできます。男イタコは母親を降ろすのですが、どうも信じてもらえません。やがてインチキくさいと文句をつけられケンカになり、カップルはお金を払わずに帰ってしまうというストーリーです。
まずは長谷川等さんにお願いして『めぐら』とボクの『男イダコ』でイベントを始めました。会場となった居酒屋のマスターが、イベント好きな人でした。そのイベントでマスターがぼくら二人のことを気に入り、今度は弘前の中三というデパートのステージでイベントを催してくれました。ボクら二人の他に、遠野の語り部のおばあさんを呼んできたんです。その遠野のおばあさんは毎日、観光客や修学旅行生に向かって語りを披露しているプロ中のプロでした。一人芝居はある程度、その役柄というか登場人物の形をかりてやるのですが、語り部のおばあさんはそれとは違い、おばあちゃんのままで語ります。自然体で無駄な力が入ることがなく、スーッとお話が入ってきます。非常に技術の高い語りでした。落語の噺家さんも凄いと思いますが、遠野の語り部のみなさんも相当な手練れです。みなさん遠野に行く機会があったら是非、聴いてみてください。
そしてボクは青森から神奈川に引っ越しました。間もなく仙台の知り合いの演劇人から、一人芝居のイベントをやるので出ないかと誘われました。青森から離れ、いち演劇人として俳優としてやっていくためには、青森を武器にしたものを持っている方が良い。それに青森の凄い演劇人がやってきたものを外に広めたいとボクは考え、『或るめぐらの話』をやることにしました。
そして、同じように上演するだけではダメだ。自分にしかできないオリジナルの『或るめぐらの話』をやろうとビジュアル的な工夫を入れました。それは、片目だけを内側に寄せ、もう片方は正面を向いたまま30分語るというものです。その辺はYouTubeに動画が上がっているので見てもらえればと思います。こちらがそのアドレスです。https://youtu.be/iFFN_lndzNE
仙台で上演したのを、たまたま大阪の一人芝居フェスのプロデューサーが見に来ていました。それがキッカケになり、今度は大阪で上演することになりました。
大阪で津軽弁の一人芝居。
なかなかのハードルの高さでしたが、おおむね好評でした。
それで今度は全国で上演するという企画が持ち上がり、大阪、東京、三重、福岡で上演することができました。これがキッカケで全国の色んな演劇人と出会うことができました。これは本当に自分の財産になりました。その後は早稲田大学の講義の中でも何度か上演させてもらいました。これは歳をとればとるほど味が出てくるはずだと勝手に思っているので、高齢になってもやれるよう自分のライフワークとして、これからも機会を見つけてはちょくちょく上演していきたいと思っています。