津軽弁で芝居を書き始めたボクですが、生まれは津軽ではありません。
青森県は大きく分けて津軽と南部そして下北と、三つに分類される地域があります。ボクは南部の七戸町というところで生まれました。
廃藩置県が施行される前の青森県は、津軽藩と南部藩に分かれておりました。南部藩は岩手県の中ほどまでも含む広さでした。
津軽藩と南部藩は言葉も違えば文化も全く違います、気候もまったく違います。
南部は、夏は涼しく冬は天気が暖かく雪が少ないという気候です。夏はヤマセという冷たい風がふくので、たびたび冷害に見舞われます。おまけに平野が少なく稲作には向かない土地です。ですのでコメがあんまりとれません。
小学校の授業で「南部はたびたび飢えに苦しむので人を食べた。」というようなことを教科書で習いました。その当時は何も考えずにふむふむと授業を聞いていましたが、芝居を書くようになってから、当時の授業を思い出し「じゃあオレの先祖にも、人を食べてた人がいるのかな?」と、ふと考えたりしました。
それに比べると津軽は日本海側。夏は暖かく冬は雪が多い。そして広大な津軽平野のおかげで田んぼが沢山あります、つまりコメどころなのです。南部より遙かに豊かです。
「津軽と南部は仲が悪い」とよく言われます。今はそういうことはありませんが、年配の方々の間には、まだそういう名残もあるようです。
芝居をするために津軽にある劇団に入りました、弘前劇場と言います。この劇団は全員、正職を持ちながら、質の高い芝居を全国に届けるという理念のもとに活動している劇団でした。東京での評判もよく、日本全国で公演活動をしておりました。ボクはその劇団に入るために津軽地方に移り住みました。それまで津軽地方にはまったく行ったこともなかったので、その時初めて津軽の生活をふれました。まず津軽に漂う文化の香りに魅了されました。コメがよくとれる豊かな土地では文化も発達します。古い建築物が多く残っていたり、オシャレな喫茶店がたくさんあったりと、一発で魅了されてしまいました。
劇団に入ってすぐ、弘前のオシャレな居酒屋でバイトを始めました。全員、正職を持っている劇団でしたが、若い新人たちは津軽以外から入ってくる人が多く、だいたいがアルバイトをしていました。そこでショックを受けた出来事がありました。ボクはバイト仲間たちから「ダスケ」というあだ名がつけられました。
「だから」という接続詞が、南部の方言では「ダスケ」になります。「だからさぁ」が「ダスケにぃ」となり「○○だから」が「○○ダスケ」になります。「お前、そんな感じだからダメなんだよ」という文章が「オガ、そったら感じダスケ、ワガネんで」となります。(ワガネはダメという意味)
津軽の人たちにとっては、ボクがダスケダスケと連発しているように聞こえるみたいなので、「ダスケ」と呼ぶようになりました。
ちなみに津軽弁では「○○だから」が「○○ダハンデ」となります。使い方はほぼ同じです。
どっちもどっちだと思うんですが、やはりマイノリティは目立つのでしょうね。まあまあバカにされました。
ボクは劇団に入るまで自分が生まれた街から外へは、ほとんど出ることなく暮らしてきました。そのせいか、自分が訛っているなんてみじんも思っていませんでした。しかもボクから見たら遙かに訛っているであろう人たちからバカにされ、とてもショックでした。
そんな津軽では市町村レベルで、違う訛りになります。
弘前の隣の黒石市ではまた違う感じで激しい訛りを持っています。印象的なのは「ゴイゴイど」という言葉があります。これは「どんどん」みたいな使い方をします。「どんどん歩く」という言葉は黒石だと「ゴイゴイど歩ぐ」となります。これには弘前の人間も驚いておりました。
津軽に住んでいる人たちは、そういったお互いの訛りの違いを楽しんでいる節がありました。
そういうのを知ってから訛りって、方言って面白いんだなと思うようになったのは。口にする事の楽しさ、みたいなものを感じられるようになりました。
津軽に住んで5年ほど経ち、もう津軽弁にも慣れたと思っていた頃、郵便局で非常勤職員として働きました。5年も住んだので津軽弁はだいぶ話せるようになったし、聞き取れるようになったなと思っていました。ですが、郵便局の職員さんたちの訛り方が本当に激しくて、何を言ってるか全く分からず愕然としました。郵便局の職員さんは生粋の地元民が多いということなのか、段違いのレベルでした。津軽弁は本当に奥が深いと痛感しました。
いつしかボクは、同じ日本人なのに何を言ってるか全く分からない。だけど躍動感あふれる津軽の人々の生活の営みを演劇にしたいなと思うようになりました。
ボクがいた弘前劇場も津軽弁を使っていますが、あくまでもニュアンスが訛っているぐらいで、台詞を聴いてても特に分からないということはありません。ですが、ボクはこの分からないのが最大の魅力に思えてきました。
耳で聴いて口に出して楽しい津軽弁。この魅力を最大限駆使して自分で台本を書くようになったのです。