「アシスタント(assistant)」から「教諭(teacher)」へ:広がるネイティブ採用
「なるほど。ネイティブの大半は無資格であるとのこと、それは問題ですね。しかしこの状況は30年前からそうだったわけでしょう。なにを今さら」と思われる方がいるかもしれません。ここで私が声を大にして、みなさんの意識を高めていただきたいのには、理由があります。一連の英語教育改革の一環として、ALTの雇用は今までの一時雇用の「アシスタント」から定年まで正規雇用の「専任教員」という新たなステージに入りつつあるからです。
『これからの英語教育の話をしよう』の私の章で取り上げましたように、大阪府教育委員会は2018年度から「ネイティブ英語教員」に特別免許を与えて、定年まで任用するプランを公表しました。大変心配しましたが、蓋を開けてみると、大阪府教委は「ネイティブ」という単語を「高度な英語力を有する」という意味で使っており、いわゆる「母語話者」に限ってはいませんでした(詳細は私の章をご覧ください)。しかし、学位、教員免許不問ですから、やはり非専門職化をすすめた残念な一手とみていいでしょう。
大阪府教委の件はけっこう話題になったのですが、あまり注目を浴びずに、岡山県教育委員会は、2018年度の教員採用にて、「英語を母語とする者を対象とした特別選考」を実施しました。教員採用試験の実施要項によれば、出願要件は次のとおりです。
- 英語を母語とする者(国籍は問わない)
- 日本国内の国公私立学校で、英語の指導に関する3年以上の教職経験がある者
- 職務を行う上で必要とされる日本語力を有する者
また学位、教員免許不問です。英語教師になる上で、そんなに文学、言語学、教育学、心理学、応用言語学の知見は必要ないと言いたいのでしょうか。教職をなんと考えているのか、私には分かりかねます。
なお一応「3年以上の教職経験」は問われています。なるほど一般のALTは教職経験も不問ですから、それよりは適でしょう。しかしこの要件は「無免許で車を3年運転しました。そしたらなんとか運転できると思うので免許ください」という方たちを認めるのと同じではないかと思いますが、いかがでしょうか。
私はこの特別免許状を付与して、正式採用するのであれば、教職や語学教師の資格を要件にすべきだと思います。学位の質も考慮しましょう。まったく不可能なことではありません。たとえばお隣の台湾では2004年に“Foreign English Teachers”(FET)というJETのようなプログラムを始めましたが、同プログラムではすべてのネイティブ英語教員に教職資格を求めています(台湾教育省HP)。さらに学位のレベルと教育経験に基づき、給与も異なります。台湾は教育立国を目指す上で、教員の「質」が重要であることをよくわかっているのです。
まとめ
以上、日本の英語教育の「無資格指導」、とりわけ無資格ALTの制度の問題点をみてきました。ポイントを補足して再度まとめます。
ネイティブ、ノン・ネイティブにかかわらず言語教師としての知識、技能、意欲は必要である。
⇒したがって無資格者(アマ)と有資格者(プロ)を選別する必要がある。
そのため、
⇒現在の無資格ALTの雇用を徐々に廃止して、有資格者のみを登用する制度に変更する。
(補足として、有資格者はLanguage Teacher(語学指導者)、無資格者はLTA:Language Teaching Assistant(語学指導助手)と呼び、明確に区別する。Assistant Language Teacherという中途半端な呼び方は廃止する。『これからの英語教育の話をしよう』の座談会での仲さんのコメントから着想しました。)
⇒残ったリソースは英語教員の養成や研修などに投資。とりわけ英語教員向けの留学奨学金を設立。
いかがでしょうか。おそらくみなさんの中には「あの ALTの先生は無免許だけど、本当にすばらしい。生徒のことをよく考えてくれるし、教え方も抜群。免許なんかいらないんじゃない」とか「教員免許持っている日本人の先生がダメ。だからALTに頼るんだよ」と言いたい人がいらっしゃるかもしれません。
たしかに教員免許なしでも優秀なALTはいるでしょう。私も何度か出会ったことがあります。免許はなくてもバイクに乗れる人たちがいるのと同じです。免許はなくても介護をしている人たちもいます。ではみなさん無免許のバイク乗りを配達員として雇うでしょうか。無免許の介護士に自分の両親をみてもらおうと思うでしょうか。あたりまえのことながら、免許を課すことによって、その職業集団の水準を保つことができるのです。
また教員免許持ち、イコール良い英語教師ではないのも分かります。私の章にも書きましたが、英語教員の養成と研修こそ「抜本的改革」をすればいいでしょう。つまり教員資格の質を高めるためにさまざまな手を打つべきです。これは無資格ALTを雇うのと対極にある発想です。つまり安易に無資格ネイティブに頼るのではなく、プロフェッショナル養成に必要な時間的、財政的リソースを割くべきです。無資格ALTの方々も、「プロ意識」があるのであれば、自身の知識や技能の向上のために研修を求めているでしょう。
「教育は人なり」といいます。その言葉にあるように、学校教育の成否は、教員の資質能力に負うところが極めて大きいです。「無資格検査」で話題になった「物」とはまったく違う「人」です。大量の「アマ」よりも数名の「プロ」がいるほうがいい。現在の資格で十分でないのであれば、資格の要件を高めるとともに、その待遇を変えることが正しい道だと思います。
一連の英語教育改革、とくに小学校英語の導入などは、「とりあえずやりましょう。お金はないのでアマチュアでなんとかしてください」でうまく行くわけがありません。やるのであれば、ちゃんとしたプロに任せましょう。