文章を書くうえで、シーンを描く大切さはいうまでもありません。書き出しに困った時にはシーンから書くのも方法の一つということについては、第4回に触れました。
今回は、それでは魅力的なシーンを描くにはどうすればいいか、そのコツの一つについて書きたいと思います。
ズバリ、そのシーンには無関係に思える要素を加えるという方法です。それが妙味になるのですね。
日本語表現法の授業で、学生たちにエッセイを書いてもらっています。その時に課題を出すのですが、これがけっこう難しい。書くことへ自然にいざなうようなものにしたい。
経験的に、これはいい作品がいっぱい読めるなあという課題は「忘れられない味」です。味覚というのは身近で、広がりのある題材だからでしょうか。
課題を出す時にはアドバイスをします。この場合は、「味の向こうに人の姿が見えるように書こう」と添えます。甘い、辛い、苦い、おいしい、まずい、なんでもいい。どんな味でもいいから、味と同時に、かかわりのある人の肖像も描写しようというわけです。
いろいろな味についての作品が出てきます。家がお鮨屋さんをしている学生は、父親の作る酢飯の味。「企業秘密」なので細かいことは教えられないといいながら、酸っぱさと甘さが絶妙に溶け合った味をお父さんの苦労とともに描いてくれました。
クラブの合宿で、いつもは無愛想な後輩たちからサプライズでお誕生日祝いのショートケーキ(コンビニで買ってきた)をもらって、泣いてしまったという力作もありました。
陸上部の厳しいトレーニングで唇についた土の苦さ、二人暮らしのお母さんと外食する時にいつも食べる日高屋のラーメンの温かさ、自分が子供の時に初めて一人で作ったカレーライスのまずさ。
ただ、少し物足りない感じのする作品もあります。私はとっさに「シンプル過ぎる。イロをつけようよ」「アジをつけよう」とアドバイスします。ところが学生はキョトンとしている。そして、「イロって何ですか」「アジって何ですか」と尋ねられます。
私が「イロ」や「アジ」という言葉で表現したかったことを説明しましょう。
たとえば、こんな作品はどうでしょう。店名は架空です。
親友の圭子とその日、オムライスを食べに渋谷のエッグマジックへ行った。圭子とは大学の入学式で仲良くなって以来、困ったことや苦しいことを何でも相談できる間柄だ。
お店はJRの渋谷駅から歩いてすぐの場所にあった。早速、店がイチオシの「マジック・オムライス」を頼む。とてもおいしい。ケチャップの上品な甘さをくるむように、卵のフワフワが口に優しい。その中から、微妙にコショウの効いたチキンライスが舌をくすぐる。まさに、卵のマジックだ。 ところが、三分の一ぐらい食べたところで、圭子が急にスプーンを置いた。 「おいしいね」と話しかけると、黙ったまま、私を見つめている。そして、その言葉を口にしたのだ。 「実はね、大学を辞めようと思うんだ」 「えッ」 それからは、彼女から退学の理由やさんざん苦しんできたこと、考え抜いた末に至った結論であることを聴いた。話を聴いているうちにオムライスの味がわからなくなった。何度、スプーンで口に運んでも、味がしない。水を何杯も飲んだ。オムライスはその水と同じ味がした。 |
かなりいい作品だと思うのです。でも、話がシンプル過ぎるのではないか。平板な印象を受ける。せっかくいい題材なのだから、もう少し、ニュアンスがほしい。
こういう惜しい作品に出会うと、私はいくつかの答えやすい質問をしたくなります。店はどんな雰囲気か。ウェイトレスはどんな人だったか。オムライスは大きいの?
そして、たとえばこんなふうに書き直したらどうでしょうか。
親友の圭子とその日、オムライスを食べに渋谷のエッグマジックへ行った。圭子とは大学の入学式で仲良くなって以来、困ったことや苦しいことを何でも相談できる間柄だ。
お店はJRの渋谷駅から歩いてすぐの場所にあった。早速、店がイチオシの「マジック・オムライス」を頼む。しばらくして、背の高い感じのいいウェイトレスさんが、アツアツのオムライスを持ってきてくれた。とてもおいしい。ケチャップの上品な甘さをくるむように、卵のフワフワが口に優しい。その中から、微妙にコショウの効いたチキンライスが舌をくすぐる。まさに、卵のマジックだ。 ところが、三分の一ぐらい食べたところで、圭子が急にスプーンを置いた。 「おいしいね」と話しかけると、黙ったまま、私を見つめている。そして、その言葉を口にしたのだ。 「実はね、大学を辞めようと思うんだ」 「えッ」 それからは、彼女から退学の理由やさんざん苦しんできたこと、考え抜いた末に至った結論であることを聴いた。話を聴いているうちにオムライスの味がわからなくなった。私は何度もウェイトレスさんに水のおかわりを頼んだ。のどが渇いて仕方なかった。そのたびに笑顔でついでくれた。どうしてか、私は背の高い女性と相性がいいのだ。圭子も身長が170センチ以上ある。 オムライスをいくらスプーンで口に運んでも、味がしない。何杯も何杯も、水を飲んだ。そのたびに背の高いウェイトレスさんは微笑みながらついでくれた。彼女の右の頬にほくろがあって、それがなぜか記憶に残っている。 オムライスの味は相変わらずしなかった。水と同じ味がした。 |
シーンの魅力とは何か。それは新鮮さなのです。
それでは、手垢のついた表現、類型的な文章を脱するにはどうすればいいでしょうか。
私たちの人生で2つと同じシーンはありません。森羅万象が移ろいゆくのが世の習いです。だからこそ、ディテール(細部)が大事なのです。それがみずみずしさをもたらします。
この場合、友人が退学したいという意向を聴いて、おいしかったオムライスの味がしなくなったというのが文章の中心です。ウェイトレスの背が高かろうが低かろうが、ほくろがあろうがなかろうが、いいたいことには関係ありません。
しかし、私にはウェイトレスの身長やほくろの場所の記述がとても面白い。こういうところに生きていく面白さがあり、人の世の楽しさがあるように思うのです。
なぜ、このウェイトレスの頬にほくろがあるのか。考えてみれば不思議です。でも、人の心の動きも不思議なものです。理屈は通用しません。圭子はなぜ、退学を決めたのでしょうか。いくつもの理由を挙げるでしょう。でも、その中心はブラックボックスになっていて、すべてを論理的には説明できないのではないでしょうか。
背の高いウェイトレスの頬にほくろがある不思議は、圭子が退学を決めた心の動きの不思議と響き合っています。私は自分の人生を振り返ると、自分も他人も世の中も、よくわけがわからない、理屈では説明できない動き方をしているなあと、考えてしまうことが少なくないのです。シーンを描くなら、そんなところに響く文章にしたいのです。