自分を変えるためのエッセイ作成術|第3回 タイトルのつけ方は4通りある~その2|助川幸逸郎

 

とりあえず「4つのパターン」でタイトルをつけてみる

 

タイトルをきちんとつけると、対象のどの部分に・どうやってアプローチするかが明確になる――そのことを前回、お話しました。そして、「文章のネーミングの仕方」には、4つのパターンがあることにも触れました。

それでは、「4つのパターン」それぞれにしたがってエッセイに題名をつけるとしたらどうなるか。今回は、具体的にそれをやってみるところからはじめたいと思います。

私は先日、イエルク・デームスというピアニストの公演に行ってきました。デームスは、世界的に知られた名匠で今年88歳。これほどの「大物」は、ふつうなら大都市のまん中でコンサートを開きます。

ところが、私がデームスを聴いたのは、郊外の住宅街にある中古ピアノ店でした。店内のピアノを搬出し、折りたたみ式の椅子を並べる。そうやってつくられた「臨時会場」で、わずか90名ほどの聴衆を前に、デームスは自作とショパンを弾きました。

中古ピアノ店のあるじは、調律師でもある横山彼得ペテロという方。横山氏は、欧州での経験も豊富で、デームスのピアノの調律をずっと手がけています。その縁でこんな「ありえない場所」にまで、デームスはピアノを弾きに来た。

横山氏の調律理論は独特です。現代では、音程を正確にあわせ、よけいな音が混じらない調律が好まれる。横山氏がチューニングしたピアノからは反対に、「人間の声」や「風の揺らぎ」を思わせる、多彩な音が聞こえてくる。

「私の調律こそ、ヨーロッパの伝統的なやり方です」

横山氏はつねづねそういっています。

横山氏の「昔ながらの調律技術」は、現代ピアノにも増して、アンティークピアノの本領を引き出すのに効果的です。私が聴いた夜、デームスが弾いていたのも、1905年製の「ヴィンテージ」でした。

横山氏の中古ピアノ店で開かれた、デームスのコンサート。これを聴いた体験をエッセイにするとして、「4つのパターン」それぞれにのっとったタイトルを考えてみます。

 

  • 主要人物の名称にちなむ

いちばん単純なのは『イエルク・デームス』。これだと漠然としすぎなので、『イエルク・デームスと横山彼得』にします。

  • 「叙述の対象となる出来事」の舞台を使用

『住宅街のピアノ屋で世界の巨匠を聴いた!』

  • キーワードやキーアイテムをかかげる

『巨匠が弾いたヴィンテージピアノ』か『「本物の調律」で奏でられたショパン』

  • 「叙述の対象となる出来事」や「主題」を象徴的にあらわすフレーズをもちいる

『デームスが5分で描いたハルキの40年』((デームスはその夜、ショパンの『雨だれ』のプレリュードを弾きました。「失われてもどらないものへの哀惜」――村上春樹の文業の根源的主題でもある――を凝縮させた、すさまじい演奏でした)

 

「4つのパターン」のどれがいちばん「いいたいこと」を書きやすいか

つぎに、こうして考案したタイトルによって、エッセイの中身がどうちがってくるかを見ていきます。

タイトルが『イエルク・デームスと横山彼得』だと、ふたりの関係についてのべることが「縛り」になります。「デームスと横山氏はどのようにして知りあったか」や「デームスは横山氏の調律のどの点を評価しているか」。そのあたりが「外せないトピック」といえます。

『住宅街のピアノ屋で世界の巨匠を聴いた!』を看板にかかげた場合はどうなるか。デームスが、ふつうなら考えられない会場でコンサートを催したのは、横山氏と特別なつながりがあったからです。このケースでも、ふたりの交流に触れることは欠かせません。

ただし、『イエルク・デームスと横山彼得』は、「両者のかかわりこそメインテーマ」という印象を醸成する。『住宅街のピアノ屋で~』というタイトルにすると、「「交友史」の部分は、ざっくり語るだけでも大丈夫」という感じがしてきます。そのかわり、ピアノ店という特殊空間で巨匠ピアニストを聴く意義を、『住宅街のピアノ屋で~』は記すことを課せられる。

ショパンは、狭いサロンでは完璧な演奏をするいっぽう、大会場でのコンサートを苦手としていました。

「この種の「こぢんまりとした会場」で聴くことで、はじめてショパンの真髄はわかるのではないか」

そういう観点からの感想が、できれば欲しいところです。

『巨匠が弾いたヴィンテージピアノ』や『「本物の調律」で奏でられたショパン』が題目ならばどうでしょう。このケースでは、横山氏の調律について詳述することが「マスト」になります。

そして、『デームスが描いたハルキの40年』。これをタイトルにしたら、「メインディッシュ」は必然的に「デームスが弾いた『雨だれ』の印象記」です。「デームスと横山氏の交流」や「横山氏の調律」に、「添えもの」の範囲を越えて触れると違和感が生まれるはず。

このように、「4つのパターンのどれを選ぶか」で、「書きうること」や「書くべきこと」がちがってきます。

「どのタイトルにすれば、「いいたいこと」をいちばん書きやすいか」

4つのパターンにそくして何とおりか題目を考えたのち、そこのところを吟味する。このやり方を採るならば、「適切なネーミング」をすることがいっきに簡単になるはずです。

 

「住宅街のピアノ屋で世界の巨匠を聴いた!」を書いてみる

デームスのコンサートに行って、私がいちばん考えたのは、「小さな会場でショパンを聴く意味」でした。そこで、「住宅街のピアノ屋で世界の巨匠を聴いた!」を題目として、エッセイを書いてみることにします。

住宅街のピアノ屋で世界の巨匠を聴いた!

イエルク・デームスというピアニストがいる。ウィーンに学んで、若年よりその才能を謳われた。ソロ活動のほか、指揮者のカラヤン、小沢、歌手のシュヴァルツコップ、フィッシャー=ディスカウといった顔ぶれと協演。輝かしいキャリアをかさねて、今年88歳を迎える。

そのデームスの生演奏を聴く機会を得た。会場は、ふつうのコンサートホールではない。南万騎が原という、横浜郊外の小駅を最寄りとする中古ピアノ店。そこに折りたたみ式椅子を並べた「にわかサロン」で、デームスは自作とショパンを弾いた。

このピアノ店を経営する横山彼(ぺ)得(テロ)は、ヨーロッパで研鑽をつんだ調律師でもある。デームスのピアノの整備を長年手がけ、その縁で老匠は南万騎が原にやってきた。

「グランドピアノを1台搬出すると、片道だけで役6万円かかります。ふだんは6台、この店にそれが置いてある。今日はコンサートをやるために、デームスさんの弾く1台をのぞいて倉庫に送りました。正直、よそのホールを借りたほうが安あがりなんです。でも、デームスさんを近くで聴くよろこびを共有してもらいたくて、こういうかたちでコンサートを開きました」

開演に先立ち、横山は聴衆にそう語りかけた。

デームスのピアノは、絶品だった。とくにショパンの前奏曲集がすさまじかった。

『雨だれ』のプレリュードを、デームスは「湿ったあたたかい音」で弾きはじめる。「前世の恋人」に再会したような懐かしさ。中間部では転調がくり返され、不穏な空気が立ちこめる。そのあと静寂が訪れて、冒頭のフレーズがもう一度奏される。今度の音は、凛としてつめたい。ああ、「あのひと」はもう、この世にいないのだ――。

ショパンは、こぢんまりとしたサロンでは名演を聴かせる反面、大会場でのコンサートは苦手だったという。

『雨だれ』でデームスが駆使したような音色の微妙な使いわけは、広いホールでは有効にはたらかない。座席によって聞こえる音のちがいが大きく、会場全体に「演奏者の想定した効果」を伝えられないからだ。

ピアニストが意図するニュアンスが手にとるようにわかる――こういう小会場で聴いてこそ、ショパンのピアニズムは真価を発揮するのかもしれない。そんなことを、デームスを聴きながらあらためて思った。

ただしひとつ、この会場には大きな欠陥がある。演奏中ずっと、店全体の蛍光灯がつけっぱなしになっていた。「ピアノのまわりだけ明るくする設備」が、ここにないのは仕方ない。が、『雨だれ』を聴きながら、思わず私は泣いてしまった。そして、ピアノの近くに座っていたせいで、まだ涙がおさまらぬうちにデームスと目があってしまった。

「泣かせた張本人」に「泣いているところ」を露わに見られる。その恥ずかしさは筆舌に尽くしがたい。ふつうのコンサートホールなら、こんな思いはしなくてすんだはずである。

 

 

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