開国前夜、日欧をつないだのは漢字だった小川誉子美著 「はじめに」試し読み

開国前夜、日欧をつないだのは漢字だった
東西交流と日本語との出会い

小川誉子美著

ひつじ書房

「はじめに」試し読み


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はじめに






 はるか遠方の接触もできない異国の言語を学び、文法書を書くということは可能だろうか。こんな問いに対し、現代の私たちはこう考えるだろう。強靭な意思があっても無理、ましてや、その言語を使う場がなければ、その好奇心は長続きしないし、できたとしても中途半端なものになるだろうと。ましてや西洋語を母語とする人々が、中国語と日本語を学び両言語の文章理解のための文典を作成するのは不可能、できたとしても奇跡以外の何物でもないと考えるのが一般的ではないだろうか。

 しかし、日本との人的交流がない時代のヨーロッパで、それをやってのけた人々がいた。私は、彼らがどのようにしてそれを可能にしたのか知りたいと思った。そうした彼らの「奇跡」をたどるべく、書物を渉猟していくうちに、あるキーワードに出会った。それは、中国人、中国語・漢字であった。今まで光をあてられることのなかった事実に光をあて、西洋人の日本語学習の歴史に、中国を位置付けてみようと考えた。西洋、中国、日本の三者がおりなす関係は、黎明期の日欧交流の実相をあらたな面から照らし出してくれるのではないか。そこから、近代における日本研究の舞台裏をあきらかにしてみたい。また、その中国、中国語・漢字を内包する西洋の日本研究の歴史をさぐるにあたり、まず、西洋の人々が中国語という異質な言語と出会ったとき、どう向き合ったのか、その経験は、一九世紀の日本語研究に活かされたのか、一方、日本の西洋語研究も長足の進歩を遂げたが、西洋の試みと共通点はあったのか、日欧双方の史実に踏み込んでみたい。

 時代の大きなうねりの中で、異質な言語、文化が出会い、相互の文化研究が始まる。相手を知るには、言語の研究は最重要課題であった。懸命な取り組みが優れた文典や辞書をもたらし、学者が誕生した。しかし、直接接触がないのに、どのように実現したのだろうか。こうした問の答えを求めながら、内外の研究成果を渉猟し続けた。本書はそれに対する答えである。


 導入として、まず、大航海時代にさかのぼる。はるばる西洋からやってきて日本語研究の金字塔を打ち立てたのは宣教師だった。宣教師たちは日本布教の中でどのような中国像を抱き、中国の人々は彼らの目的にどう関わったのか(第一章)、中国へ渡った宣教師たちは中国語学習や中国文明の翻訳にどう取り組み、それはヨーロッパに何をもたらしたのか(第二章)について紹介する。いよいよ開国前夜に時代を移す。イギリスやフランスは中国語や日本語の学習基盤をどのように築いていったのか(第三章)、黒船来航の舞台裏でアメリカは言語面でどのような対策を講じたのか、日本では西洋語の辞書作成の舞台裏でどのような工夫があったのか(第四章)、西洋に誕生した日本学の始祖たちはどのように日本語の語学書を作成していったのか(第五章)についてメディエーター、サブチャンネルをキーワードにひも解いていきたい。
 前作『蚕と戦争と日本語―欧米の日本理解はこうして始まった』では、西洋人の日本語学習を彼らの戦略を軸に描いたが、本書はどのように学んだかという点に焦点をあてるものである。



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