房主より
ひつじ書房の10周年
松本 功
10周年
ひつじ書房は、この2月に10周年を迎えることができました。1990年に創業して、とにもかくにも倒産せず、日本語学の研究書を出し続けることができたことは、本当に幸いなことです。29歳の誕生日に創業したわたくしも、今年で39歳になり、来年は40歳になります。みなさまのご支援に深く感謝申し上げます。まことにありがとうございました。
最初に、組版・印刷をお願いしていたレオプロダクトの山崎さんにお礼申し上げます。経済的な基盤がまったくゼロであるにもかかわらず、研究書というはけの悪い本をどうにか作り続け、会社を持続することができたのは、なんと言っても請求書をあるとき払いにしてくださったことが大きいのです。初期を脱した後には、1000万円近い額を分割払いにしてくれたこともあります。山崎さんに会っていなければ、スタート時点で倒産していたに違いありません。
次に、仁田義雄先生と村木新次郎先生にお礼申し上げます。無給の顧問をお二人がしてくださったおかげで、すぐれた先生方に原稿を書いていただき、企画をスタートさせ、成功させることができました。とりわけ、仁田先生は、本ができずにっちもさっちも行かなくなって、そのことを年末のダイレクトメールにほのめかしたとき、心配して、わざわざ電話をくださり、融通してくださるとまで、おっしゃってくださいました。お世話にならずにことなきをえましたが、電話口で私は涙を流しました。
もちろん、ひつじ書房がなりたっているのは、原稿を書いてくださった著者の方々、本を買ってくださっている読者の方々、そして、ひつじの本を売ってくれている書店、取次の方々のおかげです。深く感謝申し上げます。ありがとうございました。ここでは、流通に関わる二人の方へお礼申し上げたいと思います。地方小出版流通センターの川上さんと名古屋大学生協書籍部南部店元店長の安藤さんにお礼申し上げます。川上さんは、大手取次店が流通してくれなかった時に、全国の書店へ届けてくれましたし、安藤さんは地方小出版流通センターしか取引のない(返品ができない)状態で、ひつじの本を並べて下さいました。
日本語学とともに
思えば、ひつじ書房は、日本語学とともに育ちました。1985年に、前に勤めていたおうふうで『ケーススタディ日本文法』を編集してから、この新しいジャンルといっしょに生きてきました。ひつじが、いままで続いてこれたのは、新しい研究を作り出そうという研究者や読者に後押しされたからです。研究者が優れた研究を発表し、それが多くの読者に読まれ、その読者がさらに優れた研究者になると言うスパイラルな循環がありました。10年がたっていますので、若い研究者の中には、研究を志した時には、すでにひつじ書房があったという方々もいるでしょう。日本語学の専門出版社が、複数あるということが当然のように思っているかもしれません。しかし、
学問にも成長期、成熟期、壮年期・・・と生長があるということを忘れてはいけないと思います。一説によると岩波講座がでるとその研究の最盛期が終了する、あるいは、ひとつの高原に達すると言います。その意味でも、現在は成熟期に入ったといえるかもしれません。
日本語の研究も細分化してきています。日本語の文法についてきちんと研究されていれば、一定の部数が売れたという時代は去っています。と同時に、大学制度の問い直しがはじまり、労ばかり多くて意味のない帳尻合わせのためのドタバタもあれば、根本的な問い直しもあります。その中に、日本語研究もあります。
編集者として
そんな時代に言葉をめぐる出版を生業としている我々が、本業としてやるべきことがあるのではないか、とここ数年思い続けてきま
した。我々は、言葉の研究を生業の基にしています。一方、さまざまな人文学の分野も言葉についての関心を表明しています。必ずしも言語の専門集団が、そうした要望に応え切れていないという点もあるのではないかと思います。
私は、ひねた編集者ですが、様々の異なった分野を言語を核としてもっと有効に結びつけることに貢献できるのではないかと思って
います。これからの5年間は、日本語の専門の出版社であるということを立脚点にして、様々な働きかけを行っていきたいと思っています。その一つとして、online雑誌「対話とコミュニケーション」を創刊しようとしています。これについては別の機会に、詳しく申し上げたいと思います。ひとことだけ申し上げておくならば、日本語は不完全な言語です。(これは外国語と比べての意味ではありませんので念のため。)男女が老若が、親子が対等に話し合うことがなかなかできません。日本人だから、日本人どうし対等に必要に応じてコミュニケーションできるかというとこころもとないと思います。マンションの建て替え問題を考えれば、普段コミュニケーションを取っていない住民同士が相談しあう困難さがわかるでしょう。未完の日本語を対等なコミュニケーションが可能なように少しでもバージョンアップしたいと思います。オオゲサですが、日本語に関わるものとして、それなりの責任があるように感じています。この意味で、完全な言語があるかのように思わせる「国語」から、侵略の歴史があることは事実にしろ外国人も関わることのでできる「日本語」へ意識を変えるべきです。ニホンゴは、ネイティブも外国人も、幼児も老人もいっしょにコレカラ作る未発の言語なのです。
さて、20世紀が、知のインフラの中心は大学にあるという時代であると同時に紙の出版が文化の支え手の重要なプレイヤーであった時代であったことは、間違いないことですが、実質的に近代を超える時代にはいってしまう21世紀には、仕組みが変わっていきます。2007年には人口が減りはじめます。このことは日本の歴史の中ではじめての事態です。今までの仕組みを癒すことは、不可能です。新しい仕組みを作るべきです。
ひつじ書房は、ここ数年、次の時代の出版を創造するために試みを続けています。学問を含めたコンテンツを作る営みを支援する仕組みとしての「投げ銭システム」、本と本の情報の流通を改善するための「書評の仕組み」、作り手を支援できる図書館を作る呼びかけの「進化する図書館プロジェクト」。夫婦二人で、経営している規模の出版人がやることではないと思いますが、既存の出版社がやらないのですから、仕方がありません。そのような試みの中で、言語学出版社フォーラムという言語学出版社の連合体を作りました。
幼年期の終わり
我々はやっと「幼年期の終わり」を迎えたところなのでしょう。新入社員を入れ、さらにもう一人と思っていたのですが、人育てはうまくいきませんでした。結局、夫婦二人を核にして、仕事を回転していく体勢に戻りました。娘と一緒に事務所に出、近くの幼稚園に送り、順番を決めて、どちらかが迎えにいっていっしょに過ごすというSOHO体勢になりました。私は、週に1・2回という分担です。本作りについても、社内の人手を使って本を作るDTPは原則的に中止し、学術書で定評のある三美印刷に発注する方針に変更しました。コンピュータを操作する時間を節約して、編集に力を注ぎたいと考えてのことです。DTPで自分の労力を使って本を出すことは、
はけの悪い研究書をだすのには、必須な条件でしたが、中止します。これからは、本を作る際に他人の労働を使い、外注費が発生しますので、売れなかった場合には自分の身体で返すということができなくなります。企画については計画的にならざるをえません。この点では一般的な出版社の一般的なやり方になるということです。
さて、今回から、未発の表紙のデザインを変更しました。前号までのものは、友人のデザイナーが、「ひつじは無名なので衝撃があるデザインの方がいい」ということで、ウールマークに似たデザインを使ってきました。次の10年に入るにあたり、「人間と言語」というひつじ自身のテーマを前面に出すデザインにかえました。
これからもどうかご支援・ご批判をくださいますようにお願い申しあげます。
松本功(房主)・松本久美子
編集の助っ人 生井純子
アルバイトのみなさん
{出荷事務・ホームページ作成など}
朝倉由紀子・田中絢子・藤田実代子・佐尾博基・田村明子・冨山恵子・三原裕紀子
{学術情報スタッフ}
飯田崇雄・御手洗陽・鯖山