三美印刷へいく
「初歩の初歩から教えます」という房主の決意に満ちた言葉とともに、三美印刷さんへ見学へいくことになった。三美印刷の方々には1日つききりで案内していただいた。本当に勉強になった。
最初に案内されたのがエディアンプラスという名のコンピュータだった。テキストでポストスクリプト(命令)を作成し、面付けを行っている。作業自体はなんとなくわかる、ような気がする、という感じだったが、しきりに「シャケン」という言葉が登場する。とても基本的な用語らしい。「・・・車検?」と首を傾げていたが、ここで聞かない方が良さそうな空気である。常識・・・? 「写研」という会社の機械だということがようやくわかったのはしばらく後になってからであった。かなり有名どころらしい。はー、知らんかったー。
しょっぱなからつまずいたが、気をもり立てさせてくれたのは「サザンナ」という名の「シャケン」のコンピュータだった。たくさんのキーがあって(幼稚な表現…)、偏や旁などを組み合わせて漢字を作ったりしていくものらしい。外字や数式などのキーも別にある。写研のシステムはMacとは比べようもないほどとんでもなく外字が多いという(この辺で「シャケン」が「写研」であることに気づいた)。理数の学者が論文を活字にするのに、あまりにも数式などがでたらめになっていたために自分でプログラムを作ってしまった、というもので、もとは欧文や数式が主であるらしい。
(←間違い。下記、房主のコメントを参照)
どこの部にも年輩の方がいた。活版からずっとやってきてる人は、数式などの知識も多く持っているといい、知恵袋的な存在になっているのがうかがえた。
横文字や機械に弱いとはいっても、正直もっと勉強していくべきだったと反省している。あまりの無知に、申し訳なくて(疑問があまりにも基本的なことすぎて)質問もろくに出来なかった。いかんせん、70年代生まれといえどもテレビゲームすらやらずに来てしまった身としては、コンピュータなんぞ認識外の未知なる物体であった。それがいつの間にやら、その仕組みすらわからないままMacの端末などを叩いている。別に拒絶反応があるわけではないので、HTMLやらUNIXやらの構造を教えられれば、なかなか面白いではないか、などと思いもする。もしかしたらコンピュータも、もっとハードな部分からやっていけば、かえって面白味を感じていくのかもしれない。機械好きの人や数学好きの人は、その仕組みを知っているからこそ楽しくて仕方がないのだろう。
手動写植機を見せていただいた。左手で文字の入ったガラス板を滑らせ、右手でキーを打っていく。サザンナにしても、原始的な(いや、ちっとも本当は原始的ではないのかもしれないのだが)機械というものは、わからないながらもどこか魅力を感じる。機械がどんな作業をしているのかが、見えるからだろうか。MacやWindowsなどのソフトだと、なんだか自分よりもきっととってもかしこいのだろうなあと思ってしまって、その構造に注意が向かないだけなのかもしれない。Finish Workという部門があった。最終的なチェックはやはり人の手にゆだねられる。人の目で見ておかしいと思うところを調整していく。コンピュータの融通の利かないところを手作業で補うのだ。コンピュータを知っている人ほど、それを信用しすぎることはない。当然のことだが機械に使われちゃいかんのである。
なんだか今日は盛りだくさんだった。インクの使い方も、はじめて知った。インクを混ぜる機械もあったが(なんとなくアイスクリーム製造機のようにもみえる)、機械を使うほどの量ではないときには人が手作業で行うようであった。数種類のインクをバットのようなものにあけ、ヘラを両手でもって規則的な動作で混ぜる。コールタールを練るのと同じくらいの重さだという。ムラのないように混ぜるにはやはり職人的な技術を要するのだろう。すっかり知恵熱でぼんやりしたまま帰途についた。ほかにもいろいろなところを廻っていただいたのだが、勉強不足で把握しきれなかった。偶然走る列車の窓の外に張り付いてしまった、カナブンのような気持ちがした。
知らないということを知ることはとても重要なことだ。仕事に限らず、いろいろな局面で、知らなければ知らないまま、そのまま通り過ぎることもできるし、その方がよい場合もある(楽、というのとは少し異なる)。何も知らずにDTPからはじめてしまうよりは、組版や写植のことも知っていた方が必ず役に立つ。今回の見学は、自分の現在と仕事に対する理解や、それに対する一定の論理のようなものが成り立つであろうと、房主が取り計らってくれたことだと思う。が、またしても製本所にいたせていただいたときと同様に、房主の意図とは違った解釈やら感動やらをしてきてしまったかもしれない。まあ、いいか。