TEXT:松本功
[ isao@hituzi.co.jp ]
山形さんのNPOについての話がちょっとひどいと思ったので、時間もないのに、ソースをとってきて、コラムの部分だけを自分の文章にして、ページを作ってしまった。あんまり上品ではないし、薦められることではないけれど、酒宴の宴会芸のように、私はへたくそでとてもだめだが、おちょくりたいひとの声の出し方をまねて遊ぶように、リンクもそのままにして、ページを作ってしまった。著作権的には問題だろうが、この場合、なにが問題なのか、なかなか難しいような気もする。
というのも、ページの構造も外見もすべてみることも落とすこともできる内容をまねたとして、さらにそれはまねであること、パロディであることは、明白なのだ。だれも HotWiredの本当のページだとは思いもしないだろうから。
また、そのことによってお金を取ってもいないし(取っていけないということもないが、財産権の侵害といわれにくいだろう)、山形氏に対しても HotWiredの財産的な権利に対してもまったく何もおかしていないからだ。犯しているとしたら、HotWiredの持つアンチカルチャー的な雰囲気に対してだが、これもこれで、私を訴えでもしたら、皮肉なことになる。既存の価値を批判的に書いているHotWiredや山形さん自身が権威のようにふるまうしかないからだ。
まねすることが、さらにはパロディをしてしまうことが、オープンソースという中で、どういう意味づけになるのか。意地悪だが、HotWiredの方々がどういう点に注目して、どういう論法で話しかけてくるのか興味があった。これに対しては、もう少しおもしろいことを言ってきてほしかったというように思ってしまったが、それはないものねだりだろう。忙しいところ、わけのわからないことをやってくれたというのが正直なところではないか。
それもわからないではないし、批判するつもりはない。また、私自身は面白いがってはいるが、どういうことなのか見通しがあるわけでもない。だからこそ、どういう評価があるか、楽しみだったのだけれども。この楽しみは、しばらくとっておくことにしよう。
今までであれば、朝日新聞に反論をするには、文芸春秋とか対抗力のある雑誌に原稿を書くか、するしかなかった。朝日新聞に対抗して、朝日新聞の紙面を作るというわけにはいかないだろう。でも、デジタルの時代には、簡単にできてしまうのである。もちろん、常識のある人間がそんなことをするはずがない、という常識もあったろう。
まあ、そんな常識を吹きとばすくらい山形さんの文章はおもしろかったのだと言っておきたい。
今回、ソースは参考にしているが、画像はすべて作り直した。パロディの雰囲気が必要なので、この程度にているのは許容されると思うのだが、どうだろうか。全然にていないとパロディにならないからだ。
なお、今回は、3月末の言語学関係の学会に出て、出店を出している間に作った。別に暇なわけではないし、大事な仕事をうち捨てているわけではないので、お許しいただきたい。
山形浩生さんのORIGINAL
こんなやり方はやりすぎだと思われますか?
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