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3月

2011.3.31(木)


今日は3月31日、年度末日です。

何人かの書店員さんや、出版社の方から異動や退職のご連絡をいただきました。 たいへん寂しいですが、節目というのでしょうか、そんな季節なのだと思います。

先日海老澤が書いていました、3月11日の大震災の影響で遅延などがあった書店への配送、東北地方の書店への配送も順次、通常に戻りつつあるようです。ただ、被害が大きかった宮城県をはじめ一部地域には、救援活動を最優先としてまだ出荷が出来ない場所もあるようです。
※くわしくは日本出版取次協会のホームページをご覧ください
http://www.torikyo.jp/

ひつじ書房でもさまざまな影響で刊行が遅れてしまっている新刊書籍も、4月に順次刊行される予定です。いましばらくお待ちください。

また先日は、書籍を保管している浅草の倉庫も確認してきました。崩れてしまった書籍もありましたが、それほど大きな被害ではありませんでした。(場所によっては2階から1階に梱包ごと落ちている書籍もあり、あらためてこの度の地震の恐さを感じました。)

事務所前の公園の桜もちらほら咲き始め、桜の樹が多い茗荷谷は通勤で歩くことが楽しい季節です(花粉症でなかったら・・・ですが)。



2011.3.29(火)

『認知言語学研究の方法—内省・コーパス・実験 』刊行!

『認知言語学研究の方法—内省・コーパス・実験』辻幸夫 監修 中本敬子・李在鎬 編

昨年の12月の日誌で編集中ですと書いていた本書ですが、長らくお待たせをいたしまして、ようやく完成いたしました! 今回カバーに使用した紙はジャガードGAというものですが、すごく質感が上品で、手に取った感触がたまりません。製本所から本が届き、手に取る時の嬉しさは担当編集者の特権ですが、今回の本も持った瞬間にこれはイケル(?)、と嬉しさと共に思わせてくれました。すごく良いですよ。大型書店さんには4月上旬あたりから入り始めると思いますので、見かけた際にはカバーの質感にも注目してくださいね。この素敵な装幀は、いつもひつじ書房の本を手がけてくれている大崎善治さんによるものです。

さて、認知言語学の分かりやすい概説というのはこれまで出版されてきていますが、研究の方法をまとめた本というのはこれまでなかったのではないかなと思います。本書は前半で認知言語学の外観、これまで行われてきた伝統的な研究手法と、新しい研究手法の整理。後半では、そうした研究手法を用いてどのように研究を進めることができるのか、執筆者の実際の研究例をもとに一緒に進んでいくことができます。

認知言語学がどのような学問なのか、そしてどのように研究をおこなったらよいのか、知りたい人にとてもオススメです。また、言語学研究には例文が欠かせませんが、本書の中の、内省と作例について研究者がなぜ作例を作り、それをどうするのかと整理されている箇所はとても明解で納得できました。すべての言語研究者にお届けしたい本です。

ありそうでなかった本書、ぜひご購入下さい!



2011.3.25(金)

知識を外部化するということ

先日、日本図書館協会の常世田さんにお越しいただき、公共図書館にとっての電子書籍やネットワークについて、お話をうかがいました。少人数の勉強会、といったふうの集まりでしたが、中身はたいへん濃いものでした。

一般に、図書館というと、その目的は本を提供すること・保存することであると思われがちです。しかし、図書館というのはそもそもは義務教育以降の大人に対する教育機関であり、本はそのための材料でしかない。電子書籍やネットワークの発達しても、本が材料でしかない以上、その目的が変わることはない、というお話には感銘を受けました。

ある人が自分の知識を書籍にします。そうすると、その知識は「著者」という人間から外部化され、ほかの場所(人)からのアクセスが容易になります。
この構造は、「書籍」を「データ」に置き換えても成立します。昨年は電子書籍元年といって騒がれましたが、実は、人が情報を得るという行為における根本的な構造はあまり変わっていないではないでしょうか。もちろん、出版社としては本という「もの」なのか、「データ」なのかという形式の違いは大きな変化です。ただ、それに惑わされて根本的なことを見失わないようにしなければならないと感じました。

常世田さんのことばですが、現代の日本は、「自己判断自己責任」型の社会に移行しつつあります。情報を取捨選択して、自分で判断する必要があります。その情報収集の専門家がライブラリアンです。
書籍が電子化して自宅からアクセスできるようになれば、場としての図書館は不要になる。極論としてはそんな意見もありますが、ライブラリアンという「人」がいてこそ図書館が成立し、また、それこそが今の時代に必要なものなのだと思いました。



2011.3.25(金)

赤ペンの先に、想像力

ひつじ書房のホームページでは校正ゲラの赤字の入れ方を公開しています。はじめてひつじから本を出される先生には、校正が始まった段階でお送りして見て頂いているものです。ぜひご覧下さい。

http://www.hituzi.co.jp/sippitu/
(ページ中程の「校正記号について」の箇所からPDFをダウンロードできます)

なぜ校正記号が必要かというと、赤字の入ったゲラを修正作業する人が、赤字を見て、1秒も迷うことなく修正をするためだと、私は思います。修正作業をするのは人間です。なので、校正記号を使わず修正箇所をすべて文章で説明されたとしても読んで理解することができますが、その読んで理解するための行程ををなくすために、記号があると言えるかと。

ただ、たとえ校正記号を使用していたとしても、書き殴ったような書き方と、丁寧に書かれた記号だとどうでしょうか。1回や2回はよくても、300ページある本だと、かなり長い時間、作業者はその書かれた修正指示と向き合うことになります。繰り返しになりますが、修正作業をするのは人間なので、書き殴ったような赤字がずっと続いたら、イライラして、パフォーマンスも落ちるでしょう。判読不可能な文字などあればさらに大変です。それでも、仕事なので投げ出したりはしないでしょうが。

パフォーマンスの落ちた状態で作業を続けると、どうなるか。安易にミスが出ます。簡単な誤変換などの入力ミスならばまだしも、文章の挿入箇所を間違える、消すはずの無い文字を消してしまう。校正が進んだ段階で、赤字が入っている箇所以外で何かが消されたり挿入されたりした場合、それを見つけるのは至難の業です。しかしこれは、普段原稿と格闘している方なら、案外簡単に起こってしまうことであることも分かるかと思います。

パソコンで原稿が書けるので、原稿のテキストを本文の形に組んで書籍の形にするのにどれくらいの労力がかかるか(もちろん手で植字していた時代とは比べものになりませんが)、あまり想像しにくいかも知れません。なんでもデジタルでちゃちゃっと行くわけではなく、依然、人間の労力が(見えないだけに軽視されがちな状態で)存分にかかっています。

赤字の先にはそれを見て修正する人がいます。赤字の質によって、無駄な労力が生まれるか生まれないかがかかっています。しかしこれは、誰に言うということではなく、自分を戒めるためにまず言っています。

最近、著者から返ってきた原稿を見たり、やりとりをして、そのようなことを良く考えることがありました。自分は、作業者のことを考えて赤字を入れられているだろうか。もちろん、校正記号だけでは表現できないようなこともたくさんありますので、意地でも記号を使って下さいと言っているわけではないので、あまり固くならないで下さい。

今回は赤字について書きましたが、大前提としての「入稿の際には完成原稿を」ということもいま考えています。



2011.3.17(木)

被災地の一刻もはやい復興をお祈りしています

先週発生した大震災の影響で、落ち着かない日々となっております。

幸い、ひつじ書房では大きな被害はなく、帰宅が徒歩となった程度でした。といっても遠方の社員はかなり大変だったと思いますが…。

出版業界に関して言えば、印刷の予定が狂ったり、紙の搬入予定が変更になったりしています。それに伴い、ひつじ書房でも3月末に刊行予定だった書籍が少し遅れることになりました。また、やはり本の流通に関しては影響が大きいようで、取次会社から書店への納品が、2日に1度になっているようです(3月17日現在)。

平常心と節電を心がけつつ、仕事をしようと思います。とはいえ、これから自宅で崩れた本の山を片付けねばなりませんが…。日々の整理整頓の大切さを痛感しました。

被災地の一刻もはやい復興をお祈りしています。



2011.3.10(木)

笹は食べませんが白黒です

少し前のニュースでは、上野動物園のパンダがしばしば取り上げられていました。同じ白黒の話…と繋げるのは少々乱暴ですが、印刷に置ける白黒の話、ネガフィルムとポジフィルムの話です。

先日から、テキストの改訂版に取りかかっています。旧版にある図を使うべく、フィルムを取り寄せました。
フィルムは、印刷の際、「はんこ」つくるために使いますが、最近ではデータのことが多くなっています。今回のテキストのフィルムはネガフィルム(出来上がりのページと白黒が反転している)でしたが、時代によってはポジフィルムの場合もあるとか。

重版の際に修正をした場所には、フィルムを直した跡があります。修正で1ページそのまま差し替えた跡があったり、あるいはフィルムについた傷を補修してある部分もありました。今回のテキストは何度も刷を重ねただけあって、なかなか満身創痍のいでたちでした。

今回のフィルムのことや、あるいは鉛の活字をひろっていた時代があることを考えると、データで作成・修正ができる現代はずいぶん楽になったのだなあと思います。数十年後には、また違ったやり方になっているのでしょうか。








本文のネガフィルム。1枚のフィルムに16ページ分です。










図のあるページ。







ポジフィルムもありました。スリップです。



2011.3.10(木)

『公開講座 多文化共生論』刊行しました


刊行まで長くかかりましたが、今月はじめに『公開講座 多文化共生論』を刊行しました。大変お待たせいたしました!

近年、横浜のような海外文化が息づく都市だけでなく、さまざまな地域に外国人住民が増えています。私たちも、外国文化を積極的にとりいれています(個人的には、アジア系外国人が営業する料理店が急増したことを象徴的に感じます)。外国人住民と日本人住民がともに生活する地域も増え、そこでさまざまな課題も生まれました。
本書は、浜松学院大学で行われた公開講演を基にして編まれた書籍です。法制度、子どもの学習環境、難民…といったさまざまな分野の第一線で活躍する先生方が、外国人集住地・浜松で、現実と実践を切実に語ります。現代社会の新しいテーマ「多文化共生」について、多様な角度から概観できる内容のため、今までこのテーマについて詳しく知らなかったという方にもおすすめの1冊です。

講演録から原稿を起こしたこともあり、語り口が生き生きとして読みやすい書籍です。というのも、実はこの点に特に力を入れました。編集の過程では「どの程度話し言葉的な表現を残すか」「この部分には、省略して話された主語を補う必要があるか」など、編者・著者の先生方とともに、色々と頭を悩ませた記憶が鮮やかによみがえってきます。できあがったものを読むと感じにくいのですが、かなり頑張って作りました。
帯には、浜松市前市長の北脇保之先生に書いていただいた紹介文を掲載しています。北脇先生は、「外国人集住都市会議」の開催を呼びかけ、浜松市で第1回会議を実現された方です。(本書を担当したおかげで、刊行後にお目にかかることができました。大変ありがとうございました)

400ページを超えるボリュームで、カバーに蛍光オレンジの入った、キラリと光る存在感いっぱいの書籍です。力作の1冊ですので、ぜひお手にとってご一読ください。

『公開講座 多文化共生論』詳細




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