知識を外部化するということ
先日、日本図書館協会の常世田さんにお越しいただき、公共図書館にとっての電子書籍やネットワークについて、お話をうかがいました。少人数の勉強会、といったふうの集まりでしたが、中身はたいへん濃いものでした。
一般に、図書館というと、その目的は本を提供すること・保存することであると思われがちです。しかし、図書館というのはそもそもは義務教育以降の大人に対する教育機関であり、本はそのための材料でしかない。電子書籍やネットワークの発達しても、本が材料でしかない以上、その目的が変わることはない、というお話には感銘を受けました。
ある人が自分の知識を書籍にします。そうすると、その知識は「著者」という人間から外部化され、ほかの場所(人)からのアクセスが容易になります。
この構造は、「書籍」を「データ」に置き換えても成立します。昨年は電子書籍元年といって騒がれましたが、実は、人が情報を得るという行為における根本的な構造はあまり変わっていないではないでしょうか。もちろん、出版社としては本という「もの」なのか、「データ」なのかという形式の違いは大きな変化です。ただ、それに惑わされて根本的なことを見失わないようにしなければならないと感じました。
常世田さんのことばですが、現代の日本は、「自己判断自己責任」型の社会に移行しつつあります。情報を取捨選択して、自分で判断する必要があります。その情報収集の専門家がライブラリアンです。
書籍が電子化して自宅からアクセスできるようになれば、場としての図書館は不要になる。極論としてはそんな意見もありますが、ライブラリアンという「人」がいてこそ図書館が成立し、また、それこそが今の時代に必要なものなのだと思いました。
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