第三は、どこも尻ごみして出さない本である。
2020年10月23日(金)

第三は、どこも尻ごみして出さない本である。

(10月14日発信のメール通信の文章が元になっています。)

未来社の営業責任者を務め、ぺりかん社設立に参加し、1968年には新泉社を創業した小汀良久さんという出版人がいました。『出版戦争』という本の中で、次のように述べています。この発言は出版業界では知られていましたが、今では出版業界の人も世間的にもほとんど知られていないと思いますので、長めに引用します。

 

質的出版とは

 出版は頭脳の直接的産物の商品化であるから、他の産業とちがい、商品性と文化性の両義性がある。質的出版とは文化性を第一義におき、商品性よりも文化性を重視する。これにたいして、量的出版は商品性を貫徹するために文化性を利用する。売れるか売れないかが刊行の意志決定のポイントとなる。
 わたしの場合、企画政策、あるいは営業種目は三つである。いずれも文化性を第一義に考えている。第一に出したい本を出す。第二は残さなければならない本を出す。第三はどこからも出ない本を出す、の三種目である。
 第一は、みずからが出版に志した所以のものであり、小・零細出版のほとんどは、本が売れるから出すのではなく、出したいから出すという”志“をもっているといえる。
 第二は、埋れた名著、すぐれた記録、資料といった本である。名著の誉れが高くて絶版になっている本、もちろん文庫の形で出せるほど、部数の期待できない本のために、わたしの社は、双書”名著の復興“というツリーズさえ持っている。有難いことに、ここ数年来の復刻本ブームで、こういう本はどんどん開発されて、わが”名著の復興“は開店休業のありさまであることを申しそえておく。
 第三は、どこも尻ごみして出さない本である。一定の文化的水準をもちながら、ある場合はその過度な思想性のため、ある場合は大企業を告発しているためなどの理由から引き受け手のない本はなるぺく出そうと心がけている。
(『出版戦争』小汀良久1977 東京経済pp.14-15)

この出版戦争という本は、名著の復興のシリーズを持ち、名著を復刻していたところに大手出版社から、次々に文庫化されていくという中で刊行されましたので、零細出版社ひつじ書房としては、同情しますが、売れている学術書の文庫化は当たり前になっている時代に、もはや言っても仕方のないことであり、知識の共有という点から考えるとそれを批判することは困難と今となっては思います。そういう歴史的な発言ということはありますが、「第三はどこからも出ない本を出す」といういいかたが、私は面白いと思います。世の中に受け入れられていない言説を世に送り出すということだと思います。倫理的に問題のある書物を出すということはよいことではないと思いますが、倫理的にも思想的にも議論がありうるものは出すということだと思います。私は出版の機能として、今も変わらないものとして納得します。以前にも述べたジョン・スチュアート・ミルの「半真理」の存在あるいは言説を認めるということともつながるように思います。場合によっては批判されるかもしれません。倫理の問題に限らず、必ずしも「受けない」「認められていない」「無視されている」ような言説にもいえることだと思います。その点からするとキャンセルカルチャーは、行きすぎると問題があるのではないでしょうか。公開するだけならば、インターネットの世界での発信で、「受けない」「認められていない」「無視されている」ような言説を発信することは全く可能であるわけですが、無視されないようにするということをどう実現するかということを考えた時に、出版は、万能ではないにしろ、ある程度の役割を果たせるかが問われているではないか、と思うのです。言論の意義は、公開することだけではなく、ある程度共有されうるか、無視されないように公共の言論にできるのか。100万人に読まれても社会的な知識としては共有されないということはあります。その場所というのはどういう場所なのか。「どこも尻ごみして出さない本である」ということばを「直ぐには受け入れらない本を出す」と言い換えたいと私は思います。

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