レトリックスタディという分野
2020年10月19日(月)

レトリックスタディという分野

(9月30日発信のメール通信の文章が元になっています。)

もしかして、外れていることをいうことになるかもしれないですが、言語研究は、ソシュールの『一般言語学講義』を出発点として、ラングとパロール、共時的研究と通時的研究を分けることにより、構造的な研究に科学的に邁進してきました。言語は普遍的な存在であり、感情や情緒的なことを考えないことにして科学化してきました。ローマン・ヤコブソンは、「詩学」ということも言語研究に含めていましたが、文学的なこと、美学的(感性的)なことは、主流の言語研究ではほとんど取り上げられていなかったように思います。米国ですとヤコブソンの言語における詩学的研究を、ハイムズの言語人類学が受け継いでいて、脈々と流れはあったということですが、日本ではあまり言語人類学が、言語に関する人類学を日本の場合は民俗学が引き受けていたからなのか、わかりませんが、学問の隆盛史的には興味深いですが、なかなか根付いてこなかったということがあると思います。言語研究の分野だけではなく、文化人類学でも言語人類学は場所がないようです。文化人類学のトピックを俯瞰している『文化人類学20の理論』には、言語人類学の項目がありません。本当はかなり丁寧に議論しないといけないことですが、古典的な言語研究の構造主義的な枠組みは、哲学や思想にも影響を与え、ポストモダン的な思想の根底にも言語研究の構造主義があると思います。人文科学的な学問のベースにあると思います。哲学、思想は構造主義やポストモダン的な思想をさらに批判して乗り越えようとしていると思いますが、言語研究が一定の成功を得た後にさらにその研究観を批判して乗り越えようとする動きがあまり見えてこなかったのではないでしょうか。そんなことはないというご批判もあると思いますが、どうでしょうか。言語研究の持つ強固な正しさゆえに、枠組みの中から出ることをしなくても、研究は研究で充分に可能であるという中にいるように思います。

近代化した言語研究が、扱わないことにしたことをどうにかして扱うようにするべき時が来ているように思います。その中の一つがレトリックなのではないか、と思います。飛躍しすぎでしょうか。The SAGE Handobook of Rhetorical Studiesを見るとレトリックスタディという分野が、英米圏にはあるようです。この本の執筆者を見ると英米圏でも文学研究の中で行われていることが多いような感触ですが、どうなのでしょう。応用言語学的な分野として、レトリックスタディという分野を作るべきではないでしょうか。大学の教養的な教育の中では、論文の書き方、研究発表の仕方というのは重要なテーマで、言語技術という分野は、言語研究とは別のところで、必要に迫られて実践されているわけですが、あくまで学生への教育のためで、研究ジャンルになっていないように思います。言語技術の考えは、旧来の文学教育、言語教育への批判でもあったわけですが、何十年も逆批判や議論は行われず、否定しがたい存在になっているのに、批判的な議論も未だないように思います。

大げさにいえば、アリストテレスの時代から、レトリックとそのレトリック研究は重要であったと思いますが、現代は言語研究としては、うまく扱えていないように思います。レトリックの中でもメタファーの研究は盛んと言っていいと思いますが、レトリックは上手く議論されていないと思います。近代的な言語観と言語研究観からするとこれまで上手く扱えなかったからでしょうか。科学的な学問というよりも経験的な実務に過ぎないと思われているということでしょうか。

かなり極端なことを申している、それこそ、説得のレトリックからしますと拙劣なレベルと思いますが、言語研究の将来ということを考えると近代的な言語観、言語研究観からどうやって次の段階に行くのかということが問われているように思います。その一つのポイントが、レトリックではないかと思っていますが、上手く説明ができていないかと思います。そんな段階でこうして公開するべきでもないと思いますが、対面で議論もできない現在ですので、ここで未熟ながら、発言する次第です。

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