ミルの半真理という考え
2020年9月11日(金)

ミルの半真理という考え

(9月9日発信のメール通信の文章が元になっています。)

ある学会から、研究書出版の将来について考えていることを書いてほしいといわれました。さてどんな文章を書いたらよいか、現在の出版事業の厳しさを語るという方向もあったかも知れないですが、別のことを述べたいと思いました。私は出版や編集という仕事の重要性については、学問活動を支える存在として比較的信じています。問いかけたいと思いましたのは、一部の研究者の方々は、学会(誌)があれば、それ以外の出版や編集は必要がないと思っているのではないかという危惧についてでした。かつては、理系であっても学説を世に問う方法は書籍であった時代もありました。まだまだ、学問が細分化、精緻化していなかったということもあると思いますが、専門家以外の人も読んだでしょう。その学問の専門家でなくても、たとえば、生物学なら医者の人が読むということもあったでしょう。書籍によって、狭い意味でのその分野の専門家でなくても、分野が近い人々が議論に参加する可能性があったと思います。文系の研究については、書籍としてまとめられて、研究の流れを動かすということはまだかろうじてあり得ていると思います。幻想かもしれません。研究は、どんどん専門的になって、書籍のようなまだるっこいメディアでなく、学会雑誌が中心になり、さらにはそれはオンラインとなり、査読されてその内容がきちんとしたものであることを認定して公開するようになり、そこで評価が決まって、完結するようになる。そうなると書籍の重要性はなくなります。それとともに専門家以外の人が参加しにくくなります。現在、専門家以外が議論に参加できるのかというと非常に難しいといえます。学会誌の側に、すでに専門家以外という存在は視野にないでしょう。

完結した円環は、美しいかも知れません。しかし、同じテーマを専門とする業界にいる人々が自分で真理だと思うものだけを信じて、まだ、真理か不確定なモノを排除してしまうことには危険はないのでしょうか。学会の存在価値を認めないということではありませんので、誤解なさいませんようにお願いします。学会の価値は認めた上で、学術書籍の編集の役割は、そうした真理の審査の場所から少し外にいることにあるのではないか。そのことで、専門的な研究もより活性化できるのではないか、ということを考えていたところに、名古屋大学出版会の橘さんがジョン・スチュアート・ミルの半真理ということばを引用している文章に出会いました。次の文章です。講演された時の話しをwebにアップされているものです。

19世紀イギリスの知識人J・S・ミルが「半真理(half truth)」ということを言っています。人間と社会を研究する際に「絶えずつきまとう危険」は、「虚偽を真理と誤認することであるというよりはむしろ真理の一部をその全体と誤解すること」だ、というものです。裏返して言えば、それぞれの主張や理論が、真理の全体ではないが一面は突いている可能性がある、それゆえそれらは傾聴に値し、またそれゆえ言論や学問の自由は認められ、維持されるべきだ、ということです。私は、この考え方は、主張や理論だけではなく、学問分野やそれに対応する知識のあり方、またそのメディアのあり方にも当てはまると思っています。 (「学術書を書くということ」 橘 宗吾(名古屋大学出版会))
https://www.google.com/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=&cad=rja&uact=8&ved=2ahUKEwjByYeKk9frAhWWH3AKHSAWAJEQFjACegQIAhAB&url=http%3A%2F%2Fhup.gr.jp%2Fmodules%2Fxfileuploader%2Fupload%2Fimg%2Fup010.pdf&usg=AOvVaw2s2s0dvbrag3rlHwktDFhM

学問にとって真理ではないものを排除することは、重要ですが、真理から生まれるドグマをどう扱うべきなのでしょう。真理も取り扱いによってはドグマになる。真理自体が半真理でもあることを忘れないこと。このミルの文章は『ベンサムとコウルリッジ』(松本啓訳、みすず書房、1990年)にあるものです。半真理を無視せず、どう生かしていけるかが、出版の、あるいは編集の使命ということになるのではないかと思いました。しかし、われわれにそうした出版活動ができるのか。研究者の方の問題ではなく、学術出版の編集の問題です。私は、ミルの半真理という考えをもう少し追いかけたいと思いました。

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