2004年2月15日(日)の日誌 工業生産物と知的なコンテンツの産業としての違いが理解できていない『出版ルネッサンス』

2004年2月15日(日)

工業生産物と知的なコンテンツの産業としての違いが理解できていない『出版ルネッサンス』

佐野眞一、田中秀幸、四元正弘、境真良らが書いた『出版ルネッサンス』を読んだ。本のメルマガで取り上げられていたから、興味があって読んでみた。委託や再販制度の意味などについて、客観的に記述してあることはとても優れている。委託や再販制度を文化を守るためとか、情緒的に説明してしまう出版の世界からするとまともだ。このレベルの議論が基礎となることは、今後の議論のためにとてもありがたいことである。しかしながら、出版がダイエーより3周遅れているという認識は、間違っているだろう。出版界の認識が、3周遅れているという意味でなら、ただしいが、コンテンツというビジネスは、そうではなく3周進んでいるのである。周回遅れのトップランナーではなく、周回すすみ過ぎているためのビリケツランナーであると思った方がよいだろう。

出版社は、工業製造業という意味での産業ではないということが、非常に重要な点である。顧客志向という点では、出版ほど進んでいる業種はないというべきなのだ。『早稲田学報』2・3 2004の「起業戦略の第1章」の中で、大江健先生が、脱工業化時代の情報時代には3つの特徴があるとしている。顧客主義の時代(「よいものだから売れる」という時代ではない)、不確実性の時代(「知識」より「仮説」が重要になる)、起業家精神の発揮が不可欠な時代(実験や行動によって「知らないこと」を「知っていること」に変換する)としている。この発言は本質をついていて、慧眼であると思う。

本はそのような意味では、知識ではなく仮説を売っているのである。仮説であるから、注文というものがなりたたないのである。実需に依存することができない。だから、委託になり、返品条件付きの注文になるわけだ。もっというと、仮説は、多くの読者によって、検証されて、そのテーマ自体が、実在するものになるのか、局部的なものにとどまってしまうのかは、読者も参加しているということである。1000部刷って、それが全然売れなければ、読者がそのプロセスに参加してくれなかったか、参加したが降りてしまったかということだろう。このような仮説自体を売り、販売自体も仮説であるような商品はない。ダイエーは仮説を売っていたわけではないだろう。(この点、西武百貨店の中で、苦闘していたリブロについて書かれた『書店風雲録』田口久美子著 が面白い。)

この本は、基礎となる知識を提供するにはよいものであるが、書籍という商品が問いかけている課題については、認識ができていないということになるだろう。しかしながら、出版人の多くは、彼らの議論自体についていけないだろうから、問題提起がきちんとなされていないこと自体を悔やむべきである。

この本の中で佐野眞一さんの生彩のないこと、驚くべきだ。取材者として優れている佐野さんが、取材されるがわにまわるとあまりにも無防備であることに驚いてしまう。また、ルネッサンスといいながら、現状への解説にとどまり、打開策もオンデマンド出版では、ビジネスモデルの提供とは言い難いだろう。オンデマンドというものと顧客主義というのは異なっていることに注意が必要であるが、これの区別ができない経済評論家が少なくない。実際にものを売ったことがないとこの違いがわからない。

基本的な問題は、工業生産物と知的なコンテンツの産業としての違いが理解できていないことだろう。理解ができている人は一人もいないのではないだろうか?

追伸
委託(返品条件付き注文)というものは、服飾業界にもある。ただし、店頭で、伝票を書き換えてしまう方法を取っていると聞いたことがある。6掛けで仕入れたものを、売れ残り品について、2掛けとかにしてしまう。つまり、伝票上でいったん残部はすべて返品し、2掛けで仕入れたことにしてしまうわけだ。バーゲンはそのようにしてなりたっている。嗜好性の高いものについては、委託(返品条件付き注文)は行われているのであって、これは古い業界的なやり方ではない。プロダクトアウトからマーケットインという発想の転換が叫ばれている現在、プロダクトアウト的な工業製品的な視点ではなく、マーケットイン・マーケットアウト的なコンテンツ産業として、出版業界だけではなく横断的な研究が必要なのではないだろうか?

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