1996年10月1日 ネチケット出来!


やっとネチケットができた。なんという長い月日だったろうか!うーん、感慨深い。さっそくパソコン雑誌、新聞社などのマスコミ関係に発送した。取り上げてくれるだろうか?この本にはちょっと賭けているところがあるので、ブレイクしてほしいものだ。現在、ネチケットページをこのホームページ内に作成中である。不完全なものだが、一部公開を開始するする。

1996年10月5日 朝鮮学会


富山大学で朝鮮学会が開催された。房主も出店した。売りものはほとんどないので春に刊行した『朝鮮語入門』の宣伝がメインの目的。地方巡業して、朝鮮語の授業のある先生方を訪問してあるくわけには行かないひつじ書房にとって、重要な機会である。教科書は、なんといっても専門学術出版を陰で支えてくれるものだけに、どのくらい売れるかは、とても大切なのである。また、油谷先生が、ハイパーカードを使った朝鮮語教育について話されるので、ロビーでデモをする目的もあった。油谷先生に作っていただいている本ソフトはなかなかすごいもので、実はKLK(Korean Language Kit)が無くても使えるのである。ハングルの文字は、油谷先生自作のソフトで組み込まれている。また、ソフトの中では、ハングルの入力も可能である。こころから油谷先生には感謝の気持ちでいっぱいである。自習するにも良くできたソフトだ。来年の5月か6月には世に出せるだろう。あ、KLKが、10月16日から発売になる。小社でも、研究者の方々などで、秋葉原や日本橋に遠い方々のために販売を請け負うことにした。定価30000円のところ、15パーセント引きで今なら『マックでハングル』を刊行と同時にさしあげることにしている。

というわけで秋の学会シーズンが始まった。


1996年10月7日 面白いぞ、FBOOKCの業界会議室

長岡さんという『物語のある書店』の著者の一人が、業界会議室に現れて、俄然、内容が充実した。情報量がけた外れで、教えられることばかりだ。会議室も再活性化してきている。注目に値する。目がはなせない!それにしても内容のある再販論議が、載っていたという『通販生活』が、品切れ状態で悲しい。読みたかった。


1996年10月9日 有精堂出版倒産


倒産というのは痛切なものだ。国文学・国語学では老舗といってもいい出版社である有精堂が倒産した。学術専門書といっても比較的低価格で本を刊行していた。文学の国内の研究者による理論的な本なども刊行しており、研究者の中では評価が高かったと思われる。ただ、同業者としてみると学参モドキが多くて、熾烈な参考書市場で競争していけるのか、危惧を感じていた。神田では名物のような古びた建物で古き良き時代を感じさせるものだった。春には、国立国語研究所の本などを刊行していた秀英出版が倒産した。ここは高年齢の人ばかりで、天下り式の企画しかなかったように思う。スポンサーが手を引いたということもあるらしい。やはり、教訓としては本業をきちんとまっとうにやるということだ。研究書を出している出版社の多くは、編集者が高齢化してきている。20代30代にまともな人材がいないところは、将来の目はないといえるだろう。発注者ともいえる著者の人も、将来残すべき出版社を選んで支援するべきだ。

東京大学の総合博物館でひらかれていた活字の展示会に行って来た。編集長と杉浦を連れていった。二人とも活版の現場を見たことがないと言うことだったので、いい機会ということでいったのだ。私にとっては1ページの体裁に糸でしばられた活字を見るのは久しぶりであった。私はいずれ編集者の立場から、活版から電算になりDTPになり、HTMLに行く道筋を自分なりに文章にしてみたいと思っている。紙型をちゃんと紹介していたこと(年表には載っていないようだが・・・)を評価したい。

1996年10月11日 学術専門出版とインターネット


ちょと遠かったが、東京電機大学の鳩山キャンパスで、上記の催しがあり、私も一部話をさせてもらった。池袋から1時間強の場所で、山の中というほどではないが、丘陵地域であった。にもかかわらずというべきか、60名の参加者を得た。また、聞いて下さっている方からも主催者からも熱気を感じることができた。大学出版局の編集部会の主催と言うことももちろん、あるのだが、学術書ということのためにそれだけの人が熱心に参加するというのは感激すべきことであった。また、出版労連で話をしたときよりも、インターネットに対しても関心が高く、糠に釘のような感触だった出版労連の会合とは大きな違いだった。

私は、読者が特定少数であって、経済基盤と流通基盤の弱い出版社にとって、インターネットは有効であるということを前提に、今後のネットワーク社会の中では新しい知が必要になり、その知を扱うことが新しい編集者にとって必要な課題だということ、新しい社会が実際に現れる前の練習=エクササイズとして現状のインターネットをとらえるべきだということ、著作権の保護については、プログラム的に保護するだけでなく、著者と読者の共感を得ることで実現するという方向も必要だ、といった内容を話した。

トーハンの松島さんの話も面白かった。とても明晰で、きちんとした話し方をされる方であった。トーハンに取引口座がないのが、残念だ。直販に有効とされるインターネットで、書店さんをどう位置づけるか、という難題に取り組んでいると見受けられた。この難題の中に何かの鍵がありそうな気がするのだが・・・。

今までリンクとメールだけでしか知らなかった秋田さんと望月さんとも会えたのもありがたかった。秋田さんは、30代の方かと思っていたが、だいぶ先輩だったので、ちょっと驚いた(失礼!)。


1996年10月12日 カウンターをアサヒネットのものに


いままで簡単ということでwebcounterを使っていたわけだが、5000を越えて変えようと思っていたのだが、やっと果たせた。ご存じのようにwebcounterだといちいちアメリカまで飛んでいくことになるわけで、必要ではないトラフィックを増やすことになってしまっていた。また、BUSYの表示も結構多かった。というわけで、やっとカウンターをアサヒネットのものに変えた。webcounterさん、これまでありがとう!


1996年10月13日 似顔絵復活

最近、秋田さんとミウラさんから、似顔絵似ていますねと言われた。クラリスで、ちょこっと描いただけなのだが。というわけで評判(?)がいいので、復活することにした。編集長もみんな自分の似顔絵描いてくれ!ひつじ書房のホームページはイントラネットも兼ねているので、社内の連絡にも使ってしまうのだった。

しかしまあ、新刊のページを見ると、同時並行で進めている企画の多いこと。3人で、半年で、15冊出す予定というのはやはり多いだろう。それも岩田書院と違って、再校で終わりではないし、自分たちでマックを使って作っている本が半分以上しめているのだから。岩田さんのところは、一人だけでやっていて、月あたり数冊出しているという恐怖の民俗学・歴史学専門出版社である。本人が、1年で再校で校了にならない本は、ほとんどないと言ってたからなあ。なおかつ、初校は内校(著者に送る前に社内でゲラを校正すること)をしないらしい。国語国文関係の本では、不可能なことであります。これだと社内コストは語学系古典文学系と比べて半分以下でも可能だ。DTPなんか全く必要ない。国語国文系と民俗学だと似た内容の本を出していると思いがちだが、世界が違えばちがうものだ。


1996年10月15日 『都竹通年雄著作集』と『拾遺 日本文法論』刊行!


学会シーズン突入だから、この時期にあわせて本を作っているわけだが、上記の2冊が今日と明日でできる。
都竹さんは、存命中には会ったことがない。おなくなりになった後で、遺族の方と知り合い、著作集の刊行を行うことになったものである。遺族の方、知り合いの方にお話を聞くたびに、驚くべき方であったことがわかる。
高校時代に方言学者平山輝男に出会い、研究を志すが、結核で断念せざるをえなくなる。語学学校で、先頃なくなった高名な言語学者である服部四郎にモンゴル語を習い、また一般言語学の手ほどきを受け、ずっと国語の辞書の編集を手伝ったり、GHQの日本人の読み書き能力の調査を手伝ったりもしながら、研究をつづけ、当時の民間科学者運動やローマ字運動にも関わりつつ、在野の研究者として長く過ごす。その後、あらためて都立大学の大学院に入り直す。最後の数年の60歳代は富山大学に職を得るが、それ以外は、非常勤の講師であった。背中に食べ物が入ったリックサックを背負い、夜行の電車にのり、各地をフィールドワークして歩いていたそうだ。権威を信じない純粋な学者であったことを解説からしることができる。ご存命であれば、いろいろと企画も助言をお願いしたり、本の執筆もお願いしたいこともあったと思う。また、そうした学者である兄をお持ちになった兄弟の助力の大きいものがある。その支援によって今回も本にすることができたのである。

さあ、今週末は、愛媛で国語学会がある。なんとかガンバロー。

1996年10月18日 かけ込み搭乗で、方言研究会へ


持っていかなければならない近刊の『ここからはじまる日本語学』のゲラを忘れ、事務所に寄り、なおかつ梅田先生から頼まれて日本で委託販売することにした捷解新語の研究書をとりに二度も事務所に戻ったら、羽田空港にモノレールが着いたのは離陸9分前だった。編集長の但野とは、8時にカウンターの前でと待ち合わせをしている。彼女を一人で行かせるわけには行かない。カウンターにかけ込んで、必死にお願いしたらカウンターの男性が一緒に走りますと言って、どんどん走り出したので私も出来たばかりの奥津先生の『拾遺 日本文法論』数冊とチラシと注文葉書が、入った結構重い鞄とパワーブックの入ったディーバックを背負って必死に走った。並んでいる乗客の列を通り抜け、一番はしにある全日空の搭乗口まで全力失踪で、結果、間にあった。もっとも乗り込んでからも別の乗客を待って10分以上遅れて出発した。その日の力は出発する前に出し尽くしてしまった。

先に載っているはずだった編集長の但野が、なぜかその便には載っていなかった。あの疾走は何のため?とほほほ。朝は無理してご飯食べないようにしてもらいたい。

必死の思いで取りに帰った『ここからはじまる日本語学』は、なかなかの本だと思います。ご期待下さい。11月末には出ます。


1996年10月20日 国語学会より帰還


学会もおかげさまで、なんとか無事に切り抜けることができた。道後温泉の子規記念館の公園で、編集長が四葉のクローバーを見つけたのが、幸運のはじめだったのかもしれない。19日(土)は、場所が隅っこだったせいかもしれないが、営業的な意味での感触は今一つだったが、最終日はさすがに若い研究者の方が多く来たため、多くはけてありがたかった。都竹通年雄著作集は見本で作った5冊まるまる買っていただいたし、『拾遺 日本文法論』も売れ行きは良かった。また、春刊行した『日本語条件表現史の研究』もやすい本ではないのに、健闘した。開催校が遠い場合、土曜日はあまりはけないということなのだろうか。飛行機の時間が、迫っていたため、昼の休み時間の次の休み時間を待てずに、会場を閉めなければならなかった。いらっしゃる方は、地方で行われた場合、早めにどうぞ。

また、26日からは言語学会が北海道大学で行われる。今回は、松本が行けないので、新人の杉浦がいく。学会に出席される方は、よろしくお願い申しあげます。


1996年10月24日 本を売る知性・本を作る知性


ちょっと古い記事について書く。『出版ニュース』の95年の7月の上旬のブックストリートというコラムに浜口さんという書店の方が、西武の中に本拠地を持つリブロという書店を作り上げた小川道明さんという書店経営の先駆者の話をしている。リブロは、ご存じの方も多いと思うが、思想書・人文書や美術書などを戦略的に配置して、独特の書店の雰囲気を作り上げ、一時期は見栄えがいいだけでなくて、売り上げも十分にのばしていた。人文書関係の版元や、ある種の書店人には、期待されていた書店だったといえよう。この小川さんは、西武の方針転換とともにリブロを去った。私が今回、注目したいのは小川さんのリブロでの活躍ではなくて、浜口さんが小川さんの『棚の思想』(影書房)から、導き出している次の言葉である。


その中でも「本」という商品の位置付けを明確にし、書店を情報発信の基地の一つととらえて、店作りを顧客志向の方向に進めていったのがリブロであると私はとらえているが、その根底にあるのは、言うまでもなく「本」に対する興味と理解である。「本」は、スーパーの大根や人参と違って、新鮮さは新刊書店には必要であるが、大根や人参は、人の心に語りかける商品ではない。したがって商品の取り扱い、社員の対応、棚の構成はおのずから違うものにならざるを得ない。つまり、消費される商品でありながら、消費の仕方に対する理解が必要であり、それは一言で言えば、「知性」である。


私はこの最後の文、一言で言えば「知性」である。というところに感動を覚えた。「消費の仕方に対する理解」というものは、本という商品を扱うときの実際的な知識だと思う。それは単純なように見えるが、本に対する興味と理解に支えられたいわば「知性」と呼びうるところまで、高められるものなのであろう。この文章で、「知性」というものが、輝いていることばであることを再認識させられた。本を作る我々も、編集という行為が、興味と理解を持った知性的な行為となりうるようにつとめなければなるまい。


1996年10月25日 国際送金の方法

ロンドン大学に留学中の武内道子先生よりメールが来ており、「イギリスからは郵便為替(postal money order)が使えない」との連絡をいただいた。私の認識では、アメリカは使えないが、ヨーロッパからは使えるはずであった。そんなことはないはず、田舎の郵便局に武内先生は聞いたのでは?と思いつつ、中央郵便局に電話したが、よく分からないので、郵便振替のセンターの中の国際送金の部署で聞いてみてくれとのこと。電話をしたら、なかなか親切に教えてくれた。

私の思い違いが判明!調査結果
なんとアメリカからは郵便為替(postal money order)が使えるそうである。
イギリスからは、郵便為替(postal money order)は使えない。イギリスからの場合は、postal transfer(口座間の郵便振り替え)は、可能だそうだ。
フランス、ドイツは両方可能だと言うこと。
郵便局にこだわる理由は、送金手数料が通常の銀行経由とけた違いだからである。銀行の場合、振り込み(inpayment)で、4000円から5000円かかる。5000円の本を買ってもらうと10000円以上になってしまう。checkでも、2000円から3000円はかかる。これが郵便為替や郵便振り替えだと、500円から1000円である。これなら、許容範囲といえる。

これも武内先生にイギリスで実際にやってもらって、私の知識が間違っていることを知って、確かめて分かったことだ。ありがたいことである。ささやかながら、一歩前進といったところである。


1996年10月26日 ナラティブ研究会


「認知心理学」の研究者である茂呂さんの主催される研究会に出席した。言語人類学を研究している松木啓子さんの話を聞いた。体験談を聞くことで、「かたり」が、どのように現れて、構成されていくかの研究をされている方である。松木さんの話の中には出てこなかったけれども、文学・芸能研究にも関わる面白い内容だと私は、勝手に思っていた。会話研究、ディスコース研究など、もっともっと盛んになって欲しいと願っている。21世紀の言語研究はこちらにシフトしてくだろうし、人文科学全体が、たぶん、この分野の研究から刷新されるに違いないと見ているからだ。





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