1997年10月3日 読むということ

和田敦彦さんの『読むということ』が、ついに出た。これは、実はもう数年来の企画なのである。担当は但野にやってもらった。途中、学位論文として申請されることになり、刊行を延ばすことになった。大学によっては、国学院のように本を出してから、博士号を申請するところもあるが、早稲田はとったあとからとのことだ。しかしながら、トーハンと日販という日本の2大取次店の口座を開設するという新たな事態となったこのときに本ができたのはいいことだったのかもしれない。もちろん、結果としてどうなるかは、これからにかかっている。3600円の税抜き価格は、非常に苦しくも微妙な気持ちがある。内容については、今回はとりあえず学問の基礎をなすものであると言っておきたい。人文学の不確定性原理のようなものであり、文学作品を中心にしているが、それにとどまらない。社会学、文化人類学などなど射程は広い。内容も、文学作品が中心といったが、同じ雑誌の中での広告や写真記事との相互的な関係なども扱っている。

それにしても、婦人画報の別冊として始まった皇室画報は、まるで現在の JJのようであるのに驚いた。つまり、美少女(?)たちが、登場し、見るもののさまざまな欲望を喚起するようになっているのだ。しかも、憧れのまとである彼女たちは、本を小脇に抱えている。憧れの、上流への憧れとしての本、今はそのような絵も欲望もない。

 1997年10月4日 言語学と日本語学

三省堂さんが、ジュンク堂の出店に影響されて人文書コーナーを秋に拡充した。大型店の出店競争については、いろいろと問題も多いとも聞く(返品率の向上)が、店頭で展示される機会が増えるということでは、我々のようなターミナル店規模でないと展示できない出版社にとっては、機会が増えるだけでもいいことである。

で、三省堂の言語学担当の方に聞かれたのだが、日本語学の本は言語学のコーナーに並べていいものかどうか、ということである。これは、問題なく並べて下さい。現在の言語学は、日本語学と英語学の比重が多く、実質的な研究もそこで行われているからだ。

しかし、このような疑問が、書店さんからでてくるのは、日本語学の責任でもあり、日本語学の本を刊行している出版社の怠慢であるというべきかもしれない。日本語学、国語学では、20年くらい前まで歴史的な研究が主で、言語学的な研究をおこなって来なかった。だから、言語学というと輸入学問か、外国語の研究という印象が強かったのではないか。今では、そういうこともなく、日本語の研究が、言語学になってきている。また、そのことが、人文学の中で、意外に売れているという実績になってきているのだ。実際に言語学に注目しようという流れが、書店さんのなかにあり、フェアなどの出荷の依頼も来るわけなのだ。

 1997年10月5日A 朝鮮学会に出店した。

朝鮮語入門2を来年度の教科書として採用してもらうため、朝鮮学会に出店した。今回、 60冊持って行ったが、そのほとんどをわたすことができた。実際の採用にどの程度結び付くか、不確定ではあるが、大いに期待したいところである。採用見本として無料で配るのは、何も我々に余裕があるからではない。普通、もう少し規模の大きい社では、全国を何人かで営業して回り、先生に直接あって採用の勧めを行う。ある社では、社長が営業の責任者である場合、一人で各地を回ることもある。松柏社の森さんは、そのようにしていて、一年に200日近くを費やしているとのことである。ひつじでは、教科書の比率は刊行物の2割程度しかないのでそのようなことはしていない。数少ない機会が、学会での宣伝なのである。ケンブリッジなどの外国の出版社の目録を見るともっとシビアで実際の採用が無い場合、後から請求する場合もあるようである(実際に請求しているかは、わからない)。

学術書の出版社の一部にとって、教科書は経営の安定にどうしても欠かせないものになっている。ひつじもここ数年は、教科書に助けられ、欠くことのできないものである。ただ、大学の中でも教科書を多く使う授業は減りつつあり、依存しすぎるのは今後はつらいと心得ていなければならない。とはいうもののこれからもいくつか教科書は作りつつけて行くことなるだろう。教科書を使う立場にある方は、ひつじ書房をごひいきお願いしたい。教科書の採用は、我々を大いに助けてくれるものであり、よろしくお願い申し上げる。

ということもあり、10月、11月は、学会のシーズンである。言語学会、国語学会、関西言語学会、英語学会と店を出すので、どうかよろしく。

 1997年10月5日B 不法コピーについて

朝鮮学会で、ある女性が、韓国でコピーが出ているのを知っていますか? と聞かれた。なぜ、そんなことを突然いうのだろうか。ひつじ書房に同情しているようにも見えなかった。こちらは、どういう意味でしょうか、と聞き返すこともできなかった。そのような本の形にまで製本する不法コピーが成り立つということは、市場があるということだ。ビジネスとして成り立っているのなら、せめて、その内のいくばくかの料金を支払うべきではないか? 漫画やグラビア誌は、日本の出版社と契約して、刊行し初めていると聞く。大手の出版社には、きちんとお金を払い、生き延びるのもやっとの零細出版社については、裁判ができないだろうと勝手に複製するということだろうか。これが、薬などなら、生命にかかわることだから、不法コピーも仕方がない部分もあるだろう。ライセンス料金があわなかったのであれば、仕方がないこともある。しかし、ライセンス料の交渉は一度も受けていない。翻訳にかつて10年たって訳されていない場合、契約しないで刊行していいというのがあるが、それは、複製ではないのだ。不正なもので、研究ができるのだろうか。これでは、日本で韓国語と日本語との対照研究の研究書などこわくて出せないではないか? このことを良く考えてほしいとおもう。

 1997年10月7日 書評のホームページで、特集ページ

私がやっております書評のホームページで、特集ページを立ち上げることにしました。以下のように投稿を募集していますので・・・。

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オンライン・マガジン創刊のお知らせとおねがい

来月(11月)より、当「書評ホームページ」では毎月、新しい特集を組むオンライン・マガジン「月刊書評(仮称)」を創刊いたします。乞御期待、どうぞご注目ください。

さて「月刊書評(仮称)」創刊号(11月号 10月末刊行予定)では「食べものの本」を特集します。皆さんの文章を広く募集いたします。ふるってご投稿ください。

【11月号の特集について】

食べものの本、投稿のタイトルは「私の好きな食べものの本 BEST3」あなたの好きな食べものの本を3冊教えてください。 ベスト3の投稿(書名、著者名、出版社名、定価、刊行年月-不明のものはコッチで調べます)

よろしければ、数行ほどのコメントもおねがいします。コメントなしでもかまいません。(もちろん長大作もカンゲイです)

また、食べものの本についての書評も募集しています。 書評の投稿ご投稿くださればウレシイです。(書名、著者名、出版社名、定価、刊行年月もお書き添えください-不明のものはコッチで調べます)

(しめきり 97年10月20日)

なお、いただいた投稿は「月刊書評(仮称)」編集部で一部編集する場合もあります。ボツの場合は許してチョ。

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 1997年10月8日 強引すぎたか、第3期の予約募集

日本語研究叢書の第3期の予約募集を開始している。第1期がそもそも完結していない状態で、多くの予約者にどうなっているのか、との厳しい声を聞きそうである。しかし、執筆者が実際に書いてくれない中で、次の本の企画をすすめていかなければならないという事情がある。それは、次の執筆者である研究者がいて、その研究を公開していかなければならないということと、このシリーズがひつじ書房の経済的にも屋台骨になっているというなかなかシビアな理由である。第1期の時には、なかなか書店でも手に入れることが出来にくかったことと、スタート時に小さな新しい出版社を支援してくださる気持ちから、450口ほどの予約をいただいた。これは、恐るべきことである。仮に5000円の本であれば、定価で225万円であり、それが直販であれば、刊行後、即座に入ってくるということである。このことに今までどれだけ助けられてきたことか。第2期については、250口と半分になっていた。

第3期をスタートさせるにあたって、第2期の予約者で、継続しないという連絡をされない方には、自動的に継続するということを連絡した。継続の連絡ではなく、中止の連絡をしてくれるように頼んだのである。これは、注文継続の連絡をするのと中止の連絡をするのでは、意味がだいぶ違うだろうか? 私は結果的には同じであると思う。第1期から第2期の時は、再三、注文期間を連絡したにも関わらず、第2期が出た後から、継続していないのに継続だったと思っていた人がたくさんいた。要するにめんどくさいか、うっかりして忘れていた人が多かったということなのである。ところが、何人かの方から、「強引である」「本屋のすることではない」「越権行為」であるとの批判をいただいた。

この200強という方は、基本的には文法研究に継続して関わっていく方の人数であろうと思う。しかし、うっかりということで、250が100になったら、第3期は経営的に成り立たなくなるのだ。450ページで5000円弱なんて言うのはもう無理だ。現代語の中に古典語の研究や方言の研究を混ぜているのも、内容が良いにもかかわらず、読んだ方がいいのにもかかわらず、受け入れないことが多いものを読んで欲しいと思うからである。そういうものも刊行でき無くなるではないか。

また、ひつじ書房の屋台骨の内の一つが無くなってしまうことになる。そこまで考えて、強引だと批判しているのだろうか? 出版の苦しい事情などを全く理解しない、安全な場所からの批判だと思うが、間違っているだろうか。

 1997年10月16日 まか不思議な新刊委託

今回、トーハンと日販に新刊委託を行った。それぞれ配本リストをもらった。どの書店に何冊送られたか、そのリストによって把握できる。ちなみに、これは有料で、6000円程度の料金を取られた。内容は、なかなか面白いというか、わけがわからないというか、不思議なものであった。特に日販の方が摩訶不思議なものであった。好意的に見ると最初なので顔見せということで配ったといえないこともない。今回、300冊という小社にとっては多いが、取次としては少ない冊数であり、大型店に基本的に配本されると思っていた。トーハンはそういう傾向が顕著であり、理解の範囲であったのだが、日販の方は、10坪でそのうち8坪が雑誌というスーパーの中の書店にも配本されているのである。基本的にこのようなところは即座に返品されてしまうだろう。なぜ、このような理解に苦しむことを行うのだろうか? このあたりにも、専門書が大手取次によってはきちんと売られ得ないという背景があるのだろう。今後、このままのパターンで配本されれば、売れないのは明らかだから、営業政策をきちんと立て、それを取次に認めさせていかなければ、ならないということになる。しっかりしなければ。

 1997年10月18日 東北書店営業、棚を廻る

山形大学での国語学会に出店の途中、福島と仙台の書店をまわった。福島は岩瀬書店のコルニエツタヤ店、仙台は、金港堂の本店とセンター店、丸善と高山書店などと、東北大学生協の書籍部を訪ねた。トーハンと日販の口座を取れたということで、挨拶と『読むということ』の宣伝を兼ねてのことであった。それと、われわれは最後発の出版社であり、言語では先輩に当たる出版社などの棚に便乗させてもらう、名付けて「こしぎんちゃく作戦」を計画していたのである。しかしながら、これはもろくも消え去ってしまった。どういうことかというと、東北に関しては、入り込ませてもらえるような棚は存在していなかったからである。

われわれは、すでに切り開かれ、踏みしかれている道を進みたいと要領よく考えていたことは、もろくも消え去ったのである。ということは、ここでもわれわれは自ら道を切り開いていかなければならないということである。やはり、日本語学、言語学の棚を作り、そこには常に基本的な本が、おかれているという安心できる場所が、本屋さんの中にもあるべきだと思う。そのことをもこれから、始めなければならない。基本的に担当は、登尾になるので、多くの方のご指導とともに新しい棚を作っていきたいと思う。

ちなみに書店業界をご存じない方のために付け加えておくと、注文は返品条件付きで行うことが多い。注文しても返品は可能なのである。だから、本当に売れたわけではない。しかし、一度請求はたつので、一度は売れても売れなくても、支払は取次へなされ、ひつじに支払われる。

(この項について訂正を加えた1997.11.10)

1997年10月19日 出版社には言語学書の営業はいない

18日の日誌に、東北には、身を寄せられるような棚がなかったということを、述べたが、他の分野に力を取られて、専門的な本までは、なかなか手が回らないということだろう。しかし、今、言語学が、人文書の中で、比較的(他に比べて)生きがいいのは確かだと思う。我々はもちろんだが、何とかして、書店の言語学書の棚を、もっと充実させるように協力しつつ、努力しなければ、ならないと思う。英語学会で、営業担当者が集まった折にでも、相談してみよう。

(この項について訂正を加えた1997.11.10)

1997年10月23日 組版研究会盛況!

22日昨日は、日本語DTP組版研究会の日であった。活版のことを考える会の2回目であったが、一回目にもまして大盛会であった。今回は、組版と言えばこの人、組版オタクの超人、府川さん(昔の怒りは帳消しにしよう! 私は心が広い)、ラインラボの前田さん、JISの芝野先生とまあ、なかなかすごいメンバーであった。講談社の金子さんや日仏会館の家辺さん、我らが法政大学出版局の秋田さん、壇上は小駒さんに境田さん。境田さんの資料が、すごかったから、といえよう。詳細は、PDF化を待て!

1997年10月27日 新文化に記事が

出版業界の良心、新文化にトーハンと日販との取引口座開設の記事が載った。取材して下さって、載せてくれたわけだが、なかなか好意的な記事でありがたかった。と思っていたら、それではおさまらず、栗田さんと大阪屋さんという中堅の取次店さんから、口座開設の意志があるのか、打診があった。うれしくも、ちょっと悲しいところもある出来事だった。トーハンと日販の口座が開けたということで、申し込みがきたんだもんねー。複雑な心境。

しかし、先方から声がかかったということは、口座は開いてくれるのであろう。ひつじも流通経路ということに関しては、状況は少し上向きということになるのだろう。

今のところ、『読むということ』も結構追加の注文も来ている。ルートをうまく使いこなさなければ。また、今日は、「翻訳の世界」の取材も受けた。ありがたいことである。

1997年10月29日 月刊書評創刊!

本日、スタートした。食べ物特集であるが、なかなか良くできていると思う。編集者をやめて、近い将来食べ物屋を開店する予定の私の友人に、一月ほどかけて作ってもらったものだ。一つの雑誌のようになっていると思う。これは、なかなかのことである。情報がうまくナビゲーションできるようにというこころみだが、試行錯誤が続くと思うが、なんとかやっていこう。


日誌 97年9月

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